自分の心を殺してはいけない
2016年6月20日の日経新聞の朝刊のコラムに非常に興味深い記述があった。
『サラリーマン共同体の論理』の説明として『部下は上司に尽くし、上司は尽くしてくれた部下を引き上げる相互依存関係が基本』と書かれていた。
更にサラリーマン共同体論理から生まれた社長について『大した能力はない。だからこそ次の社長を指名する権限が必要だ。その権限を失ったら求心力もなくなってしまう』と語る経営者が複数いるらしい。
実際、多くの日本企業がこの方法で大きくなってきたのだろうから、その良し悪しをここで問うことはしない。
ただ、どんなに居心地のいい相互依存関係を味わったとしても「相互依存関係を断ち切る勇気」を失ってはいけないと思う。
経理という職種をしていると、望んでいなくても見てはいけないものを見たり、触れてはいけないことに触れてしまう瞬間がある。
その時に片棒を担ぐよう求められる場合もある。
経理に限らず、そういうことは多かれ少なかれあると思う。
その時、相互依存関係にどっぷり浸かっていると、断るのは不可能だろう。
そうなると求められていることが自分の良心が許せる範囲を超えている場合、自分の正義感、つまり心を殺して生き続けることになる。
会社で不祥事があった場合、「現場が勝手にやったこと」と釈明する経営者を何度も見たことがある。
そのたびにいつも心が痛くなる。
自ら進んで大掛かりな不正処理をする担当者がいるだろうか。
上司の指示を断れずに不正な処理をしていたが、不正が発覚した瞬間に梯子を外され、逮捕された人を知っている。
とある一つのサラリーマン共同体から逃れられなかったばっかりに、人生を棒に振ってしまったのだ。
自分の良心を殺して指示に従った挙句、全てを失う羽目になるとは、その人の心情を思うと悲しくなる。
一方で、世の中には、喜々として不正な処理を指示する人間もいることも知っている。
実際にそういう人と仕事をしたことがある。
本人は、会社と経営者を守る正義のヒーロー気取りだった。
このような人は自分では手をくださず、部下に指示をする。
不正な処理は続々と生まれていき、不正な処理に加担しない部下は無能扱いをされていく。
果たして、今いる会社は自分の人生を棒に振ってまで守る価値のある会社だろうか。
自分の家族を「犯罪者の家族」にする可能性を抱えてまで、しがみつきたい会社だろうか。
犯罪者までは行かなくても、自分の家族に胸を張って自分が何をしているか言えない仕事をしたいだろうか。
自分の心を殺してはいけない。
もし不正な処理を求められたら、その不正な処理が楽しくて生きがいを感じる人に全てを任せて、逃げてしまえばいい。
しかし、いざというときに逃げるのは難しく、勇気がいることだろう。
家族がいる人は特に、生活のことを考えて思い悩むに違いない。
そこで常日頃から準備をしておきたい。
準備を心掛けているのは下記の3点だ。
・自分に対して自信を持つ
・他社でも通用するスキルを意識して身につける
・給料以外の収入源を確保する
この3つがあると、会社生活において心に余裕が生まれる。
会社にしがみつかなければいけないと思うと思考停止になりやすいが、余裕があると自分の意見を口にすることが怖くなくなる。
そうすると、会社が我慢する場所ではなく、自分の思いを実現する場所になる。
こういう、いい効果もあるのだ。
自分の心を殺してはいけない。
もし今いるところが暗く辛い場所でも、心さえ殺さなければ、その先の明るい場所に必ずたどり着けるのだから。