心のこと

ビリーフ解放と許し〜『臆病な僕でも勇者になれた七つの教え』からの教え

2016/11/11

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旺季志ずかさんの『臆病な僕でも勇者になれた七つの教え

この本を読んだら、頭ではどうにも理解できない文章の意味が、自然と心の中に湧き上がってくるという不思議な経験をした。
本の中から心に留まった一文と、そこから湧き上がってきた言葉を書き記すシリーズ7回目。

P233 すべての目の前の人、できごとが、自分の鏡だってわかったんだ。きみは、僕の一部だって。僕は自分の中の欲望、毒々しい邪悪さ、弱さ、そのすべてにオッケーをだした。
どんな醜い自分も許す。そしてきみを、エリカを、タマスを信じる

目の前にあらわれる、どんな人物も自分を映し出す鏡じょ。嫌いな人、苦手な奴があらわれたときは、切り離した自分の部分を取り戻すチャンスなんじぇ。(中略)
赦しは最強のパワーじぇ。目の前の相手を許したとき、自分のその部分も赦され戻って来る。反対もしかり。自分自身の嫌な部分を許していくと、嫌いな人はいなくなる。
裁かれ切り離された部分がない人格ほどパワフルなものはない。

闇の将軍タマスは、仲間だと思っていた美少女エリカだった。
キラとリクを殺そうとするエリカに、キラは「一緒に帰ろう」という。
そのキラの言葉でエリカの心は和らぎ、闇将軍の支配から解放されるのだった。

自分を解放することは自分を許すこと

ビリーフが外れ、自分を解放することは、自分を許すことでもあった。
人に甘えてはいけない、人前で感情的になってはいけない、質素でいなくてはいけない…、こういった思い込みから解放された。
人に甘えること、感情を表に出すこと、ワクワクすることをやること…こういったことを自分に許した。

それからは他人の行動に対してイライラすることが随分と減った。
今思うと、自分が我慢をしていることを誰かが我慢せず自由にやっているときに、イライラとしたのだろう。
かといって、他の人がやることなら何でも無条件に受け入れられるかというと、それは違っていて、「こういうことされると困るなあ」「それはとても失礼なんじゃないかな」「それは行き過ぎだよな」と思うことはもちろんある。
今までは、そういうときは怒りの感情が起きるのを理性で抑えこんで(自分自身で怒りの感情に気づかないほどガチガチに抑えこむことができていた)、何ごともなかったこととして振舞っていた。
何ごともなかったのだから、怒りを表明したり、何が問題なのかを相手に伝えることもできなかった。
それなのに、自分の中に抑えこんだ感情がくすぶって、何日も何日も悶々とし、ネガティブな感情を持ち続けていた。

自分を許すことは相手を許すこと

しかし、感情を表に出すことを許した今は違う。
怒る、相手に怒りを伝える、以上これで終了、となるのだ。

相手に怒りを伝えるということは、怒りを言語化することだ。
自分の中の怒りを認めないと、的確に言語化できない。
前は怒りという感情を持つ自分を認めることができなかった。
でも今は、ネガティブな感情を持つことを許したため、怒りを認めることができる。
怒りという感情を認めるから、相手に怒りを伝えることができる。

こうやって相手に怒りを伝えることで何が起きたかというと、相手を許すことができるようになった。
相手からの謝罪の有無に関わらず、「そうだよね、そういうことしちゃうときもあるよね」と相手の言動を許せるようになったのだ。

感情を認めないと許せない

怒ることで、相手を許せるようになる、ということは、とても大きな発見だった。
なぜ、そういうことが起きたのか。
これまでは私が怒っているのに、相手が私の怒りに気付かずのうのうとしていることにイライラしていたのだと思う。
しかも、一番近い存在の自分自身でさえ怒りの感情に気付かないのだから、それは絶望的だっただろう。
その悲しさを相手にぶつけていたのだ。
相手に怒っているふりをして、自分自身に怒っていたのだ。
相手が私に対してしたことは怒りのきっかけにすぎず、怒りの原因は自分自身にあった。
なので、今はきっかけによって怒りが発生しても、すぐに自分自身が持つ内部の原因が解消できるので、怒りがあっという間に静まるというわけだ。

この本の第一章にあったように、全ては一つだ。全てが繋がっている。
目の前にいる誰かが、自分の見たくない部分を映し出すときに、ネガティブな感情が起きる。
なので、自分自身を許すと、相手も許せる。相手を許すことは、自分自身を許すことでもある。
自分自身も他人をも責めない世界は、とてもとても穏やかだ。

全ては一つということについて、詳しい記事はこちら

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