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『臆病な僕でも勇者になれた七つの教え』の1つ目と2つ目の教え


旺季志ずかさんの著書、『臆病な僕でも勇者になれた七つの教え』。

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小学6年生が主人公であり、平易な言葉で書かれている。
しかし、子供向けでは片付けられない内容だと感じた。

心に留まった一文と、そこから湧き上がってきた言葉を書き記していきたい。

第1の教え〜人間は繋がっている

P54「ほんまは『ひとつ』ってこと。みんな、自分ひとりで存在していると勘違いしとるけど、わしもおまはんらも、もともとは『ひとつ』じゃ」

主人公の一人、弱虫のキラが丹田に意識を向け腹で呼吸をしたところ、襲いかかってきた敵の動きが読めるようになった。
そのことに驚くキラに向かって、「人類は潜在意識で繋がっているから、内側に意識を向けると相手の思惑がわかる」と老師が教えてくれたときの言葉だ。

我々はひとつである。

例えば、一本一本はバラバラに見える竹は、地下茎を通じて遠く離れた竹とも繋がっている。
同じように我々人間も、根っこのところで繋がっている。

竹と違って、我々は一人一人自由に動けるから、繋がっているという表現に違和感があるかもしれない。
しかし、我々は強い引力で地球と結び付けられていて、地球から離れた場所では身一つで生きることはできない。
自由に動けると思っていても、それは地球上のみの話である。
我々は地球をベースに繋がっているのだ。

我々にとっての大本とは

では我々の大本にあるのは地球なのだろうか。
いや、地球も自由に動いているわけではない。
太陽の引力に影響を受けている。
地球は太陽系という一つのグループの一部なのだ。

では我々の大本にあるのは太陽なのだろうか。
いや、太陽系も銀河の中を動いている。
正直なところ、宇宙がどこまでの拡がりを持っているのかは分からない。
ただ言えるのは、我々は、想像をはるかに超える大きなものを中心にして繋がっている、ということだ。

大本がひとつとはどういうこと?

「大本が同じと言われても、あの嫌な人と一つだとは思えない!」
そういう思いもあるだろう。

しかし、勘違いしてはいけない。
「ひとつ」であることは「同じ」であることではない。
右手と左手の役割が違うように、人間ごとに役割が違うのだ。
右利きであれば、右手は細かい作業をするのが得意で、左手はそのようなことは苦手だろう。
しかし、器用な右手が不器用な左手より優れていると言えるだろうか?
左手は支えるといった補助的な役割が得意だ。
左手が得意な面を発揮するからこそ、右手も得意分野を存分と行える。
右手と左手の役割が違うからこそ、日常生活がスムーズに進んでいく。

人間も同じだ。
気の合う人も合わない人もいるが、それが役割の違いなのだ。
役割が違う人間が集まっているからこそ、前に進んでいける。
それぞれが得意な面を発揮していれば、前に進むスピードは速い。

どうして我々はひとつの塊ではないの?

我々はひとつだ。
ではなぜ肉体によって分断されているのか?
それはその方が多くの経験ができるからだ。
我々の源…宇宙かもしれない…は、じっと留まってはいられない。
止まることは滅びることで、今はまだその時ではない。
前に進む、もしくは上に上がる時期なのだ。
そのための原動力として、経験が必要だ。

経験によって、宇宙の一部である我々が成長する。
宇宙の一部である我々が成長するということは、宇宙そのものが成長するということだ。
一度にたくさんの経験をし、学び、成長するために、多くの肉体が必要なのだ。

2つ目の教え〜瞑想

P60 「MINAMOTOとのつながり方がわかったようじゃな。呼吸こそがMINAMOTOとつながるもっとも手っ取り早い方法じょ」
老師から闇の将軍タマスの話を聞かされたキラ。
タマスが支配した世界があまりの苦痛に満ちているため、そこから逃れようと丹田に意識を集中して深呼吸をした。
キラの身体を金色の卵型の光が包むイメージの中、安心感を取り戻していく。
その様子を見て、老師がキラに掛けた言葉である。

瞑想は呼吸である

瞑想や座禅といったものがある。
それぞれに流派があり、いろいろなやり方が解説されている。

しかし、瞑想だろうと座禅だろうと、どんなやり方をしようと、最終的な目的は、MINAMOTO…源と繋がることである。
自分の内側に意識を向け潜在意識を通じて源に繋がること。
このための呼吸を整えることなのだ。

呼吸の整え方

丹田は、おへその下5cmくらいのところにある。
そこに意識を向けて、鼻からゆっくりと空気を送り込む。
お腹がぽっこり膨らんだら、今度はお腹をへこませて中の空気を鼻から出す。
瞑想や座禅の流派によっては、座って背筋を伸ばすようにとか、前に何度傾けるようにとか言われているが、呼吸がやりやすければ、体勢は何でもいい。
背筋を辛いほど伸ばさなくとも、仰向けに寝っ転がろうとも、立ったままでも、空気が体の中を通ればいいのだ。

鼻から空気を出した時、その空気に光の粒が集まってくる様子をイメージする。
金色の光がどんどん集まってきて、身体を包みこむことがイメージできるまで、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
集まってきた光が金色でなくても、心地いい光であればそれでいい。
身体を包み込む光がライトボールだ。
ライトボールに身を委ね、時間が許す限りゆっくりと漂う。

雑念が湧き上がってきたら

いろいろな音が聞こえてくると思うが、右の耳から左の耳へと流す。
何の音かを考える必要はない。
聞こえないふりをする必要もない。
ただ、音がそこにある、というのを感じていればいい。

心の中から言葉が浮かび上がっても、考えを深めないようにする。
浮かんできた言葉は、そのまま呼吸とともに身体の外に出せばいい。
学校の授業中、ぼんやりとしていて、先生の言葉が音としては聞こえているけれど、内容がさっぱり頭に入ってこなかった、という経験をしたことはないだろうか。
それと同じように、ぼんやりと聞き流していればいいのだ。

瞑想で目指すもの

物は物。人は人。言葉は言葉。
ただそこにあるだけなのに、人間は全てに意味をつけたがる。
頭で「これはこういうことだ、こうに違いない」と勝手に考え騒ぎ立てる。
でも、頭で、つまり理性が考えたことは、自分が今まで経験してきたことから生まれること、つまり過去から生まれてきた考えで、今現在から生まれた発想ではない。
私たちが生きているのは今現在なのだから、今現在を始点に感じよう。
今現在を純粋に感じることが出来るのは感性なのだから、頭に浮かぶ理屈はいったん聞き流し、心の状態だけを感じ取ればいい。

瞑想で自分の内側に、感性に意識を向けると、感性が源にコンタクトを取り、大きな宇宙へとつながっていく。
こうして源と繋がっている安心感を得ることが、瞑想の目的なのだ。

臆病な僕でも勇者になれた七つの教え』シリーズ

1つ目と2つ目の教え〜繋がりと瞑想
3つ目の教え〜周波数
4つ目と5つ目の教え〜嫉妬とソウルビジネス
6つ目と7つ目の教え〜今ここにあることと許し

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