茅ヶ崎への引っ越し編(前篇)取引先の訃報とマンション住まいの困った隣人
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知人の死
2004年は、その後の人生に影響を及ぼすことがいくつもあった。
あの日は、木曜日だった。
いつもの朝のはずだった。
しかし、朝9時を過ぎた頃、隣の部署がざわつき始める。
聞いてみると、朝9時から打ち合わせを予定してた取引先の人が来ていないらしい。
日程を勘違いしたかとその取引先に連絡をしたところ、「彼は御社に直行しています」という返事だったようだ。
その人はとても真面目で、連絡もなく遅刻をする人ではないので、その部署の人たちは驚き、心配していた。
結局、その日はその人とは連絡が取れなかった。
そして、翌日の金曜日、訃報を聞くこととなる。
木曜日、取引先の方からの連絡を受けてご家族がその人の家に向かったけれど、すでに布団の中で冷たくなっていたのだそうだ。
その取引先と一緒に長い時間を掛けて大規模な案件を進めているため、業務上の関わりがない私もその人とは顔見知りになっていた。
エレベーターの中で会ったときに世間話をするくらいの関係性だったが、前日もその人はこちらに来ており、帰る時に「お疲れさまです」と挨拶を交わした。
前の日は、どこも変わったところがなかったのに、なぜ?
私とたった1歳しか変わらないその人が亡くなったことに、私は深い衝撃を受けた。
金曜日の夜、私は眠れず、ずっと布団の中でその人のことを考えていた。
その時、隣の部屋から悲鳴とバタバタと何かを投げつけるような音が聞こえてきた。
私はその数ヶ月、この隣人に悩まされていた。
一つ前の記事で、夜眠れなかった話を書いたが、この隣人も確実に私の不眠に貢献していたのである。
困った隣人
私が当時住んでいたのは、築40年のマンションだった。
5階建てだがエレベーターが付いていない、古いタイプのマンションだ。
私の部屋は3階にあるのだが、雨漏りがした。
しかし、駅から近く、家賃が安いので、気に入っていた。
数ヶ月前に越してきた隣人は男女の2人暮らしだった。
表札から察するに結婚はしていないようだった。
この2人が昼も夜も大騒ぎしていたのである。
事件簿1・ドアチェーン
ある夜は、こういうことがあった。
深夜2時、男が帰宅したのだが、ドアにはチェーンが掛けられていた。
男はドアをガチャガチャいわせながら、「開けろー!!」と大声で叫び続ける。
かれこれ30分以上格闘していたが、男は諦めたのか、どこかへ行った。
その2時間後、明け方4時。
男が戻ってきた。
ドアにはまだチェーンが掛かっている。
男は何かを取り出し、カチッとスイッチを入れた。
バリバリバリバリ!
なんとチェーンソーらしきもので、チェーンを切り始めたのだ!
慌てた女がドアを開け、チェーンソーの音が止んだ。
男が怒鳴った。
「最初から開けろよ!余計な手間を掛けさせやがって!」
そんな手間を掛けようと普通は思わないだろ…と、完全に睡眠を邪魔された私は心の中でツッコミを入れた。
事件簿2・缶コーヒー?
こういうこともあった。
私が帰宅すると、マンションの入口から奥の方に向かって、缶コーヒーを垂らしたような茶色い染みが続いていた。
まるでヘンゼルとグレーテルの白い小石のように点々と続いていたため、面白くなってその染みの後を追い、階段を登った。
最初はポタン…ポタン…ポタン…という間隔だった点々が、そのうちポタンポタンポタンとなり、ついにポタポタポタポタポタとなったとき、私は自分の住まいがある3階にいた。
その染みは私の家の方向に向かっていた。
そして、隣人の家の前には、血の池ができていた。
私が缶コーヒーだと思ったその点は、血が乾いて茶色く固まったものだったのだ。
私がヘンゼルとグレーテルの小石だと思ったものは、隣人が血を流したまま外に立ち去った跡だったのである。
事件簿3・屋上
私の住む部屋にはベランダがなかった。
代わりに屋上に物干し場があり、そこを自由に使って良いことになっていて、私も大きな物を洗った時は使わせてもらっていた。
出会い
ある天気のいい夏の日曜日、私はシーツを洗い、屋上に上がった。
とても爽やかな日で、気分良く屋上のドアを開けたのだが、そこに漂っているのはとても重い空気だった。
「ん?」と思ってよく見ると、物干し台のところに女がうずくまっているのが見えた。
初めて見る人だったが、「隣人だ!」とピンと来た。
勢いよくドアを開けてしまったため、立ち去るのも白々しい。
「すいませーん。ここ使いますねー!」とあえて明るく声を掛け、物干し台に向かった。
うずくまっていた女が顔を上げた。
タンクトップとショートパンツを着ていたその女は血まみれだった。
よく見ると、右手にカミソリを持っており、左手首から血が流れていた。
といっても、流血量を見る限り、死に至ることはなさそうだ。
私は何事もなかったかのようにシーツを干し、「お邪魔しました」と部屋に帰った。
出直し
いったん部屋に帰ったのだが、どうにもこうにも落ち着かない。
部屋にあった空のペットボトルに水を入れ、捨ててもいいタオルと薬箱を持って、再度屋上に上がった。
女はまだうずくまっていた。
私は女の腕にペットボトルの水を掛け、血を洗い流した。
タオルを濡らし、顔や足の血を拭き取った。
きれいになったところで、傷口に薬をつけ、包帯を巻いた。
女はずっと無言で、なされるがままになっていた。
「一人でいるのと、私がいるのとどっちがいいですか?」と聞いたら、「一人」と答えたので、私は部屋に帰った。
警察
私は屋上にいて気づかなかったのだが、この間、マンション内は大騒ぎになっていた。
男が警察に「女が行方不明になった!自殺するかもしれない!」と助けを求めていたのである。
男も警察も屋上の存在に気づかなかったらしく捜査が難航していたが、女が屋上から降りてきて無事に発見された。
ところが。
確かに女には自殺を図った形跡があるが、傷の治療がされていた。
自殺を図る人間が傷の治療をするだろうか?
この件には関係者がいるということで、あらたに警察が調べに入り、ついに私が発見された。
「事情をお伺いできますか?」と警察手帳を見せられた。
警察に事情を話し、それが女の話とも一致をしたため、信用してもらうことができた。
結果、事件性がないとみなされ、私はすぐに解放された。
御礼の品
その日の夜、男が我が家を訪ねてきた。
女は入院することになったと教えてくれ、常に精神が不安定なのでとても苦労していると話していた。
そして、女の傷を治療したお礼にと、私にビニール袋を渡してニヤーッと笑った。
男が笑ったその口の中にある歯は、半分以上、溶けて無くなっていた。
(女はリストカッターで、男はシンナーかあ…)と、ぼんやりと思った。
ビニール袋の中に入っていたブドウは、どうすればここまで臭いが染み付くのか不思議になるほどタバコ臭かった。
次回に続く
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