華原朋美の愛と小室哲哉の愛と私が見ていた夢
小室哲哉と華原朋美
先日、小室哲哉が華原朋美について「セレブ感を出すためにグッチかプラダしか着せなかった」と語ったという記事を見て、少し心がざわついた。
この心のざわつきの理由が、たまたま目にしたこの3つの記事を読んで、くっきりとした。
・華原朋美 「nine cubes」アルジャーノンは慈母だったのかも知れない
それぞれをぜひ読んでいただきたいが、一番心を攻め立てた箇所を抜粋する。
「華原朋美 『LOVE BRACE』 それは残酷な物語」の一文だ。
[box class=”box2″]小室哲哉という人間にとっては華原朋美という存在は『LOVE BRACE』というアルバムだけの存在であって、それ以外の部分は歌手としてもひとりの女性としても「用なし」だったのでは、というのが私の見立てである。[/box]
クリスマスイブの夜
華原朋美の名を聞くと、あの冬の日を今でも思い出す。
卒論執筆の日々
1996年12月24日。
青森は例年通り深く雪が積もっていたが、ホワイトクリスマスと呟く間もないほど追い詰められていた。
大学の卒業論文の提出期限が翌25日の正午とせまっていたのだ。
私の所属するゼミは卒論の内容を重視しており、提出するだけで卒業できる他のゼミとは違い毎年1〜2名の卒論留年を生み出していた。
バブルがはじけて、就職氷河期に突入していた。
やっと掴んだ内定を手放さないためにも卒業をしなければいけない。
私は必死だった。
部屋にこもりきり、昼夜を問わずワープロに向かい、限界がきたら敷きっぱなしの布団に倒れこみ、目が覚めたらまたワープロに向かう、そういう生活を何日も送っていた。
なんとか最後の一文を書ききり、あとは読み直して体裁を整えればいい段階までたどり着いた。
締め切り前日の夜だった。
ほっとして、少し休憩しようと何日か振りにテレビをつけると、そこには華原朋美が映っていた。
「メリークリスマス!みなさんはどんなクリスマスを過ごしていますか?朋ちゃんは…うふふ」
そう言って笑った華原朋美の視線の先には、ピアノの前に座る小室哲哉がいた。
そして、歌い始めた。
Lonely くじけそうな 〜♪
テレビの画面を隔てた向こうとこちら
テレビの中の華原朋美は、とてもかわいくて、キラキラと輝いていた。
一方、私は。
床の上には大量の本。何日も敷きっぱなしの布団。山になっている洗濯物。
クリスマスという言葉を知らないかのように、6畳一間の下宿の一室で、足の踏み場もないなか座り込んでテレビを見ている、破れた半纏を着た疲れ切った田舎の学生。
朋ちゃんって、私と同じ年なんだよな…。
きれいな服を着て、仕事も順調で、今をときめく彼氏がいて、幸せそうに笑う朋ちゃんは、全てを手に入れているかのように見えた。
あまりに環境が違いすぎて、羨ましいという感情すら湧かなかった。
ただ呆然とテレビを見ていた。
華原朋美が歌い終わると同時にテレビを消して、またワープロの前に座った。
その後
卒論発表を無事に切り抜けた後は仕事に追われる生活となり、テレビをほとんど見なくなった。
華原朋美の名はスキャンダルでしか聞かなくなった。
何年も時が経った。
心がざわつく理由
華原朋美の愛
小室哲哉が華原朋美に「セレブ感を出すためにグッチかプラダしか着せなかった」と語ったと知って心がざわついた。
華原朋美が着ていた、パリッとしたパンツスーツや上質そうなワンピースは、小室哲哉の愛の証だと思っていた。
いや、たぶん、そうなのだろう。
ただ、その愛が、歌手・華原朋美を売るための戦略がベースにある愛であることに、心がざわついたのだ。
華原朋美のファーストアルバム、「LOVE BRACE」。
カルティエの同名のブレスレットが歌詞カードにも写っており、二人の愛の象徴として、知られるようになった。
多くの女の子が憧れただろうこのLOVE BRACEも、戦略だったとしたら…。
華原朋美も、この戦略の共犯者だったら、それでいいのだ。
自分を知り、プロデュースできる女を、私は好きだ。
でも、華原朋美に関しては、そうは思えないのだ。
あの日、テレビで見せた笑顔は本当に幸せそうで、二人の愛を信じて疑わない様子だった。
愛があれば他に何もいらないと思っているかのように見えた。
小室哲哉の愛
小室哲哉が初めて華原朋美の歌声を聴いた時に涙を流したというのは、よく知られた話である。
この涙が、小室哲哉が自分の理想を実現できる声に出会って流した涙だったとしたら。
映画「プリティ・ウーマン」のようなシンデレラストーリーを歌で作りたいと願っていて、それが実現できる可能性に対する喜びの涙だったとしたら。
「プリティ・ウーマン」を作り出すために、華原朋美のことを愛したのだとしたら。
これは完全に妄想の、うがった見方である。
しかし、そういう風に考えて、心が激しくざわついた。
心がざわつく
あの寒いクリスマスイブの夜に見せつけられた二人の姿に、私は夢を見ていたのだろう。
自分には手に入らないものだと分かっていても、二人の幸せそうな姿に、なにがしかの夢を見ていたのだ。
その夢が作られたものだと、ひとかけらも思いたくない。
20年前に見た夢を守りたくて、私の心はざわついている。
このアルバムの朋ちゃんは伸び伸びと美しい声を惜しげもなく披露している