誰かの役に立ちたいときに、まず最初にやることとは
誰かのためになりたいという思い
誰かの役に立ちたい、けど…
誰かの役に立ちたい、誰かのためになりたいという思いは多くの人が持っている。
でも、どうすれば役に立てるか分からなかったり、自分には役に立てるようなスキルがないと感じている人も多いだろう。
もしくは、役に立つと思ってやったことが裏目に出たりと、うまくいかないと感じている人もいるだろう。
では、いったいどうすれば誰かの役に立てるのだろうか。
誰かの心に影響を与えるとき
目の前に初対面の人がいて、「さあ、この人の心を動かしてください」と指示されても、それができる人は少ないだろう。
私もできない。何をすればいいか全く見当がつかない。
でも、先日、自分では全く意識せず、気づきもせず、それを成し遂げてしまっていた。
そのことに、あるブログを見て気がついた。
以前、私がブルノ(チェコ)で野球を観戦した時に、球場で出会った方のブログ(追記:残念ながら2019年7月現在、ブログが閉鎖されてしまったようだ)である。
[box class=”box2″]そして、衝撃だったのはこの試合を観戦するために日本から来られたご夫婦がいたことです。
ブルノに野球を観るためにチェコに来る。
想像力の幅が広がった一日でした。[/box]
この文中の「日本から来られたご夫婦」が我々だ。
この方がチェコやブルノについて歴史や見所を教えてくださったことで、たった一泊のブルノを深く楽しむことができたのだが、我々が野球を見に行ったことをそこまで衝撃に感じているとは思いもしなかった。
人を動かすのは「熱」である
熱は伝わる
人の思いは、熱を持つ。
そして、人の思いが生み出す熱は、相手に伝わる。
熱い思いを発している人の側にいると、自分も前向きになったりワクワクしたりする。
冷たい思いを発している人の側にいると、自分も心が硬くなる。
特に、「好き」が生み出す熱は強い。
「情熱」と呼ばれる強く熱い熱は、「好き」から生み出されているものである。
誰かの情熱を感じて、自分の心も動き、何らかの行動に繋がった経験をしたことがある人は多いだろう。
熱は集める
人を集めるのは「熱」だ。
寒い日にストーブの前に自然と人が集まるように、人は心地よい熱の周囲に自然と集まる。
ぬるいお風呂が好きな人も熱いお風呂が好きな人もいるように、心地よい熱は人それぞれで違うが、心地よい熱に包まれていると、人はほっとし安心する。
熱は押し付けても伝わらない
熱は、相手に押し付けなくても、自分がその熱に満たされていれば、自然と相手に伝わっていく。
むしろ、押し付けると、相手は引く。
例えば、蛇口から流れ出る水に手を伸ばした時、それが想定以上に熱かったり冷たかったりしたら、思わず手を引っ込めるだろう。
想定の範囲から外れた熱は、反射的に危険なものと認識されるのだ。
相手の心を考えずに押し付ける熱は、その人にとっては危険なもの以外の何ものでもない。
熱ではコントロールできない
自分の熱が、相手にどのような影響をもたらすかをコントロールすることはできない。
これも自分に置き換えて考えると分かるだろう。
例えば、誰かが喜びに満ちていてその喜びの熱が伝わってきたとき、自分も喜べる時と、妬みや悔しさが出てきてドロドロした気持ちになる時がある。
誰かの熱が伝わってきた時、その熱がそのまま取り込まれるのではなく、自分の中に既にある思いと化学反応を起こすのだ。
自分が感じる思いは、その化学反応の結果である。
つまり、こちらが熱を発しても、それが相手の中でどういう反応をするかは、相手次第なのだ。
熱は相手に伝わるが、相手をこちらの思い通りに動かすことはできないのである。
熱は心に届く
それでも、人を動かすのは「熱」である。
口頭で指示を与えて、相手の頭に働きかけて、相手を動かすことももちろんできる。
その場合、相手は「やらされ感」「義務感」で動く。
しかし、熱は相手の心に働きかける。
熱が相手の心の中で何らかの反応を起こして、その結果相手が行動を起こしたら、それはやらされているのでも義務でもなく、その人自身のための行動になる。
熱を押し付けるのではなく、コントロールするのでもない。
ただ自分が熱を発していれば、その熱を心地よいと感じる人が傍に来て、そっとその熱を受け取る。
その熱が相手の心の中で化学反応を起こして生みだされたものが、相手に与えた影響なのだ。
誰かのためにできること
誰かの役に立ちたいと願ったときにできることは、自分が心地よい気持ちに包まれて、自分にとって心地よい熱を発することだ。
自分にとって心地よい熱というのが大切なポイントで、ネガティブな思いがあると相手にもネガティブさが伝わり、無理をしていると相手に伝わる熱も無理さを帯びる。
相手に心地よい前向きな熱を伝えたいなら、自分も心地よく前向きでいることが大切なのだ。
チェコで野球を見るなんて、どう考えても誰の役にも立ちそうにない行動でさえ、誰かの心にささやかな影響を与えるのだ。
誰かの役に立ちたいと一生懸命頭で考えなくても、自分の心が心地よい状態であるように心がけていれば、その熱が誰かの心に届き、誰かの役に立つときが来る。