新卒1社目、刺身トレーメーカー。なぜ刺身トレーメーカーだったのか
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1997年4月
私の社会人生活は、福岡県でスタートした。
当初は仙台支社に配属される予定だったのだが、入社直前に福岡勤務に変更になった。
仙台出身で青森の大学を出た私にとって、福岡に配属されることはかなりの驚きだった。
そして、その理由が、「社長の息子が福岡の営業の女性に手を出して、彼女が妊娠し退職することになったための欠員補充」だったことにもっと驚いた。
(この2人はその後結婚し、子供は無事に生まれた)
会社員の生活というものは、とんでもない理由であっさり変わるのである。
入社直前から社会人の醍醐味を味わったと言えよう。
入社の経緯
なぜ刺身トレーメーカーだったのか
私が入社した会社は、刺身トレーのメーカーだった。
スーパーの鮮魚売場を覗くと、刺身が並んでいるコーナーがある。
その刺身が乗っているトレーを作っている会社だ。
世の中に刺身トレーのメーカーがあることに気づいている人は、どれだけいるだろうか。
当然のことだが、世の中にある全ての加工品は、誰かに作られたものだ。
それなのに、刺身トレーにも造り手がいることに気がついている人は少ない。
恥ずかしながら、私も気づいていない一人だった。
それなのに、なぜ刺身トレーメーカーに就職したのか。
答えは簡単だ。
そこしか受からなかったのである。
就職氷河期
時はバブル崩壊数年後。
私が高校を卒業した1993年の時点では、1〜2年すれば景気は回復すると考えている人がほとんどだった。
高校卒業時点で就職が決まらなくても、大学に行って時間稼ぎをすれば景気が回復して、就職口が見つかると考えている人が多かった。
私自身は高卒で就職する意向はなかったが、やはり自分が大学を卒業する頃には景気が回復していると考えていた。
ところが、景気は良くなるどころか、どんどん悪化していったのである。
男女雇用機会均等法
そして私は、就職氷河期とは別の壁にもぶち当たっていた。
男女雇用機会均等法である。
私の夢は、JRの車掌になって夜行列車に乗務することだった。
憧れは、寝台特急日本海。
青森で勤務を開始して仕事終了時に大阪にいるなんて、浪漫のあるとても素敵な仕事だと思ったのだ。
(JR分社化すら完全に無視したツッコミどころの多いあまりにも無知な妄想である)
ところが、当時の法律では、女性の深夜23時以降の労働は禁止されていた。
そのため、JRでは女性の車掌は採用していないと言うのだ。
みどりの窓口の担当になってマルス端末の使い方を覚えるのも面白そうだとも思ったが、車掌ほどの魅力はなかった。
私は早々にJRに入社する夢を諦めた。
(なお、私の卒業2年後の1999年に男女雇用機会均等法は改定となり、女性の深夜労働が認められ、女性の車掌が各地で誕生した)
リクルートブック
就職活動をしなくてはいけないが、JRの車掌以外にやりたい仕事が思い浮かばない。
部屋の隅に置いてある『リクルートブック』に手を伸ばした。
インターネットがまだ普及していない時代、採用情報がびっしり詰まったリクルートブックが就職活動の中心だった。
特に地方の学生にとっては、リクルートブックがほぼ全てだった。
電話帳のようなリクルートブックを何冊も広げ、資料請求のハガキを片っ端から送る。
これが当時の地方学生の就職活動だった。
会社に一日中いる仕事は嫌だったので、営業職がいいなと思った。
そこで、女性の営業職を募集している会社の全てにリクルートブックに付いているハガキを送りまくった。
その中で唯一私を受け入れてくれたのが、その刺身トレーメーカーだったのだ。
余談だが、この年は、ソニーが「大学名にこだわらない採用」を打ち出して大きく話題になった年である。
「エントリーシート」というものを提出すれば、これまでは採用試験すら受けさせてもらえなかった大学の学生でも受け付けると言ったのだ。
もちろん私も必死に手書きのエントリーシートを書いた。絵を描く欄もあった。
そして、一次面接で落ちた。
刺身トレーメーカーでの仕事
そういう訳で自己分析や企業研究などとは全く関係なしに、なんとか入社できた刺身トレーメーカーで社会人1年目を迎えた。
私は希望通り営業に配属された。
当時の私の営業エリアは、宮崎県全域と北九州市。
メインの仕事内容は、車に刺身トレーを積んで、魚市場やスーパーの鮮魚売場、そして問屋を回ること。
よくある白いトレーは価格競争が激しく利益が出ないため、色付きのトレーに誘導するのだ。
「マグロは木目のトレーのほうが高級感でます!イカは青いトレーの方が新鮮に見えます!」
毎月の走行距離は5000kmにも及んだ。
小さな会社なので、商品開発会議には営業も参加した。
木目の色はもっと赤身が強いほうがいいのではないか?
木のウロはどこまで表現するか?
そんなことを夜遅くまで、喧々諤々と話し合うのだ。
ここまで一生懸命に作って売っていた刺身トレーだが、とあることに気がついてしまった。
「私が売っている商品って、エンドユーザーが家に持ち帰った瞬間には、ただのゴミだ…。」
※注:冒頭の写真は刺身トレーを説明したものではありますが、私が在籍していた会社の商品ではありません
次回に続く
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