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しずかみちこ
Gallup認定ストレングスコーチ
ストレングスファインダー(クリフトンストレングス)の専門家として、個人やチームが「強み」を活かして最大の成果を生み出すためのコーチングと研修をしています。

リクルートスタッフィングで経理したり、レアジョブの管理部門立ち上げたり、ブラック企業に入ったり、上司の横領見つけて辞めさせられたり、人の会社2つ作ったりと波乱万丈な職歴の後、独立して今に至ります。

投資と経理スキルでお金をデザインし、ストレングスファインダーで強みを活かしたら、人生が楽しくなりました。

趣味は野球観戦と美味しいものを食べること

収集心・最上志向・戦略性・未来志向・分析思考
ストレングスファインダーのnote
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新卒一年目の交換日記〜一年目に学んで今も記憶に残る3つのこと

シリーズ「会社員の歩き方、私の場合」の過去記事リストは→こちら

前の記事はこちら→新卒1社目、刺身トレーメーカー。なぜ刺身トレーメーカーだったのか

目次

会社の雰囲気

新卒一社目の会社の雰囲気を、もう少し紹介しよう。

その会社には販売拠点と工場があり、社員数は両方合わせて約100名。
それに加えて中国にも工場があり、そちらは社長の愛人である中国人が仕切っていた。
この愛人はかなりやり手な商売上手らしい。

社長は創業者であるが、次世代への引き継ぎを考え始める年頃だった。
なので、社長の2人の息子も社内にいて、どちらが跡を継ぐのかが我々一般社員の関心事でもある。
息子以外にも、要職はほぼ社長の親戚が占めていた。

社員構成は10代20代が少しいて、ほとんどは50代という、かなり偏った構成だった。
30代40代は、社長一族がぱらぱらいるのみだ。
社長の親戚でない人は出世が難しいので、多くの社員が途中で辞めたのだと推測できる。
だが、世代交代を考えて、新卒採用に本腰を入れ始めて3年目、なのだそうだ。

新卒一年目に学んだ3つのこと

新卒一年目に学んだことで、今も心に留めていることが3つある。
下世話な話が1つ、真面目な話が2つだ。

秘密の情報共有

まずは、下世話な話から。

若手の女子社員の中に、2〜3ヶ月ほどの短期間で社内の20代男性社員全員に一夜の誘いをかけたツワモノがいた。
そのことにまず驚いたが、その情報が社内の20代男性内で共有されていることにも驚いた。

誰が誘いに乗ったか、誰が誘いを断ったか。
誘いに乗るにしろ、断るにしろ、その後の流れも共有されていた。

誰にでも声を掛けるような女は嫌だと断る男と、誰にでも声を掛けるくらいなんだから遊んでやろうとノリノリになる男の2種類のタイプが居ることが分かったのも興味深かった。

そして人間社会というものは、口止めしておいても情報は共有され、知らぬは本人のみ、ということが当然のように発生することを深く心に刻んだ。

トイレットペーパー理論

次に真面目な話。

上司から「トイレットペーパー理論」というものを学んだ。
トイレットペーパーは、新しいものを付け替えた直後は、たくさんあると思って、何も考えずに好きなだけ使う。
しかし、残り少なくなったら、後を気にしてちょっとずつ使う。
だから、刺身トレーも在庫が0になるのを待たずに納品して、在庫が常に過剰にある状態にしたほうがどんどん使ってもらえる、という理論だ。

自分自身のトイレットペーパーの使い方を考えても、たしかにその傾向はある。
トイレットペーパーだけでなく食材でも文房具でも、在庫が多いものは無駄に使いすぎる傾向がある。

今は物品を納品する仕事はしていないが、自分自身が無駄遣いを防ぐために、トイレットペーパー理論のことはしばしば思い出している。

交換日記

もうひとつ真面目な話。

私は、月に2回、宮崎県に出張に行っていた。
月曜朝に福岡を出発し、熊本方面に車を走らせ、高千穂峡を超えて延岡に入る。
延岡から宮崎、日南、都城、小林と回り、土曜日に福岡に帰る。

出張に行かない時は、北九州市内をクルクル回り、夜7時に会社に戻る。
(朝8時〜夜7時が営業職の定時だった。
会社は労働基準法に興味がないようだったが、私も無知だったため、特に疑問には思わなかった。)

各営業それぞれに担当の営業アシスタントがついて、留守中の社内のことは全て面倒を見てくれる仕組みだった。
私のアシスタントには、私と同期の女性がついてくれた。
しかし、私は月の半分は福岡にいなく、福岡にいるときも会社に戻るのが遅いので、アシスタントさんと会える機会が極端に少なかった。

当時、携帯電話は持っていたが、電話帳にカタカナで名前を登録していた時代だ。
メールなんて送ることはできなかった。
よっぽどの用事があれば出先からアシスタント宛に電話をするが、そうは言っても日中はお客様のところにいるので、なかなかコンタクトは取れなかった。
お互い新人で右も左も分からないのに、意識を擦り合わせる時間が全然なかったのだ。
 

そのとき、経緯は忘れたが、アシスタントさんが交換日記をしようと提案してきた。

交換日記!
そんなのは小学生以来だ!

夜、会社に戻ると、机の上にノートが置いてある。
中には、その日あったことが書いてある。

それまでも「お客様から注文の電話がありました」といった連絡は受けていた。
それが交換日記になってからは、「注文の電話があったけど、怒鳴っていたので何かやらかしたかと不安。。」というような報告になった。
そうすると私は「あのお客様は魚市場の中に事務所があるから、怒鳴るように話さないと声が聞こえなくて、それが癖になってるだけだよ」などとノートに書く。

私はお客様全員の顔を知っているので意識しなかったが、たしかにお客様の人となりを知らずに電話のみで対応することは、手探り状態のような不安になることもあるだろう。
私は彼女にお客様のことをいろいろ伝えるように心がけた。

そして、お互いがどんな仕事をしているかが見えるようになった。
そうすると、彼女のサポートがどんどんと痒いところに手が届くものになっていく。
彼女がしっかり支えてくれるので、私は安心して自分の仕事に打ち込むことができた。
仕事を支えてくれる人がいるということが心の支えにも繋がって、とてもとても心強かった。
 

ついつい、自分を支えてくれる人に対しての情報共有は疎かになりがちだ。
身近にいるから甘えてしまうのだ。
でも、支えてくれる人にこそきちんと状況を話したほうが、より素晴らしいサポートをしてくれる。

仕事だけではない。
家族だってそうだ。
身近で支えてくれる人のことを後回しにしがちだが、実際は最優先しないといけないのだ。

交換日記がこのことを教えてくれた。

深まる苦悩と転機

こういう具合に、社内の人間関係も悪くなく、お客様もいい人が多く、宮崎県もとても気に入って、それなりに楽しく仕事はしていた。

ただ、どうしても自分が売っているものはただのゴミである、という意識がこびりついて、自分の仕事に誇りが持てなかった。

入社してもうすぐ一年になろうとする頃、そんな私に転機が訪れた。

大阪に転勤になったのだ。
 

関連記事と次の話

関連記事:新卒一年目の思い出→恋人が手を繋いでくれないことに5年間悩んで、気が付いた大切なこと

次の記事は→大阪への転勤と出張三昧の日々

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