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自分の意見を持つとはどういうことか。持っていない人とは何が違うのか


自分の意見を持つとは、どういうことだろうか?
あれは間違ってる!こっちの方が正しい!と声高に叫ぶことだろうか?

「私、自分の意見が持てないんです。人の話を聞くと自分もそっちに寄っちゃうんです」という人もいるが、人の話に影響を受けることは自分の意見を持っていないことになるのだろうか?

自分の意見を持つことについて考えてみた。

「自分の意見」の構成要素

自分の意見を構成する要素について考えてみる。

事実→解釈→意見

人は事実をベースに解釈をし、その解釈を元に意見を生みだす。
無意識のうちに行われていることが多いが、何らかの事実が解釈を呼び起こし、意見となる。

パターンA
■事実:子供は大きい声を出すことがある
■解釈:子供が集まるとうるさくなる
■意見:保育園の建設に反対

事実は同じであっても、それをどう解釈するかは知識と経験によって変わってくる。

パターンB
■事実:子供は大きい声を出すことがある
■解釈:大手建築業者なら防音対策をきちんとしてくれるだろう
■意見:保育園の建設に賛成

また、感情によっても解釈が変わってくる。

パターンC
■事実:子供は大きい声を出すことがある
■解釈:子供の声を聞くと元気になれる
■意見:保育園の建設に賛成
パターンD
■事実:子供は大きい声を出すことがある
■解釈:自分の子供を亡くしたため、子供の声を聞くことが辛い
■意見:保育園の建設に反対

様々な事実の中から、何に注目するかでも解釈が変わる。

パターンE
■事実:保育園に入れなくて困っている家庭がある
■解釈:保育園があることで救われる家庭があるだろう
■意見:保育園の建設に賛成
パターンF
■事実:子供は突然走り出す
■解釈:道路に飛び出して事故が起きるのは嫌だ
■意見:保育園の建設に反対

このように、人は様々な事実を知り、自分の知識と経験と感情に基づいて解釈をし、意見を持つのである。

事実事実事実→解釈解釈解釈→意見

上記の例ではかなり単純化したが、実際はこんなにシンプルにまとまらない。
なぜなら、いろいろな事実を同時に考え、同時にいろいろ解釈するからである。

パターンG
■事実:子供は大きな声を出すし、保育園に入れなくて困っている家庭がある
■解釈:うるさいのは嫌だけど、少子化対策は必要だし、保育園に反対することで冷たい人と思われたくない
■意見:わからない(保育園が必要なのはわかるんだけど…、でも静かな環境で暮らしたいし…でも自分のことしか考えてないとは言われなくないし…でもせっかく手に入れたマイホームだから引っ越したくないし…)

この「わからない」も一つの意見だが、明確な結論が必要な場合は優先順位を付ける必要がある。
パターンGの場合、少子化対策に協力することと、静かな環境で暮らすこと、冷たい人と呼ばれるリスク、引っ越しをすること、などの中で、どれを一番重視するかが明確になれば、賛成か反対かは自然に決まるだろう。

自分の意見を持つとは

自分の意見を持つとは、事実を自分なりに解釈し、その結論を表明することである。

事実を自分なりに解釈した結果、結論が出なくても、それも「判断がつかない」という貴重な意見だ。

大切なのは、事実を知り、それを自分の知識と経験を元に解釈し、結論を導き出そうとすることなのである。

「自分の意見がない」ということ

自分の意見とは、事実と解釈に裏付けられた結論のことである。

逆を言うと、自分の意見がない場合とは、事実を知らないか、解釈がないかのどちらかである。

事実を知らない

事実を知らない場合、意見の持ちようがない。

2022年にフィンランドで行われる予定のペサパッロのワールドカップの優勝国予想について聞かれても、ペサパッロを知らなければ答えようもない。

解釈ができない

解釈できないのは、知識や経験が不足しているからである。
もしくは感情が不足している場合もある。(どうでもいい状態)

例えば先程のペサパッロ(ちなみにフィンランドの国技。野球に似たスポーツ)。
2022年のペサパッロワールドカップの優勝国を予想するように言われたとする。

ペサパッロの知識が豊富な日本人は多くないだろう。
ここで2019年のペサパッロワールドカップの出場国と結果という事実を知ったとしても、ペサパッロについて知識も経験もない状態では、その事実を広げることができず、優勝国の予想もできないだろう。
(なお、フィンランドが1位、2位がスイス、3位がバングラデシュ)

知識や経験が不足する理由には2パターンある。
1つは、多くの人にとってのペサパッロのように、これまで触れることがなかった世界の場合。
もう1つは、触れる機会はたくさんあったのに、自分には関係がないものとスルーしていた場合である。

意見があるように見せかけて、実はない場合

「あれは間違ってる!こっちの方が正しい!」と声高に叫ぶ人は意見があるように思われがちだが、必ずしもそうではない。

自分の意見とは、事実を自分の知識と経験と感情を元に解釈して生まれるものであり、この流れを無視して作り出された意見は、意見ではない。

解釈で事実を捻じ曲げる

世の中には、解釈に合わせて事実を捻じ曲げる人がいる。
自分の解釈、つまり自分の知識・経験・感情を何よりも優先する人だ。

こういう人の言うことも、最初は筋が通っているように聞こえる。

とある人の脳内
■事実:子供は大きい声を出すことがある
■解釈:子供が集まるとうるさくなる
■意見:保育園の建設に反対

ここに新しい事実が提示される。

■新事実:園舎は防音対策を完璧に施し、外遊びは住宅街から離れた公園で行うので、音はうるさくならない

しかし、自分の解釈を優先する人は、自分の解釈に沿わない意見を受け入れない。
自分の解釈に沿わない意見が出てきた場合は、別の新しい解釈を持ち出して視点をずらそうとする。

とある人の脳内
■事実:子供は突然走り出す(子供の大きい声の件は突然なかったことにされる)
■解釈:道路に飛び出して事故が起きるのは嫌だ
■意見:保育園の建設に反対

更に新しい事実が提示される。

■新事実:登園後は門に鍵を掛けて出られないようにするし、公園の移動時にはお散歩カーを用いて安全に気を配る

もちろん新しい事実を受け入れはしない。
それどころか、追い詰められると、ありもしない事実を作り出す。

「保育園を作ることで、この辺の地価を下げようと企んでいる奴がいるんだ!これは陰謀だ!」

自分の解釈を押し通すために、事実を受け入れず、歪んだ事実を作ろうとする人は、自分の意見を持つ人ではない。
ただ、感情的な、視野が狭くなっているだけの人だ。

本当に自分の意見を持っている人は、新しい事実を知ると、それに基づいてあらたに解釈をし、必要があれば自分の意見を変更する。

人の意見に影響されること

人の意見に影響されやすいから自分には意見がないと思っている人がいる。
本当にそうなのだろうか?

自分の意見を持つことは、事実を知り、自分なりの解釈をすることだと考えると、答えがわかる。

人の意見を聞くことで、新しい事実を知り、それによって解釈が変わることがあるだろう。
その人の解釈に触れ、こういう物の見方があるのかと視野が広がり、解釈が変わることがあるだろう。

人の意見をきっかけに、新しい事実を知ったり、新しい解釈に気づいたりする。
それによって自分の意見が変わったら、それは自分の意見だ。
新しい事実を自分の頭で解釈をしたのならば、自分の意見である。

自分の意見がない状態とは、あの人が言うなら正しいと、事実を調べることなく自分で解釈することもないままに意見を変えることである。
もしくは、あの人が言うなら間違っていると、その人がどういう事実をもとにどういう解釈をしたかを知ることもなく、相手を批難することである。

自分の意見に自信を持つこと

自分の意見を持つこととは、自分なりに事実を把握し、自分なりに解釈することである。

自分の意見が人と違うと不安になる人もいるが、自分の知識と経験によって導かれた結論は人と違って当然である。

自分の意見がうまくまとまらないときは、自分の知っている事実を洗い出し、その一つ一つをどのように解釈しているかを考えると、自分ならではの結論にたどり着く。

自分の意見が、どのような事実と知識と経験を元に生まれたのかがわかると、自分独自の意見として自信が持てるようになる。

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自分なりの解釈とは、自分の知識や経験や感情というフィルターのことであり、それはそれぞれの人の価値観に通じるものである。

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