自立させる支援を目指しても、ついつい依存させる支援に流される理由
友人から興味深い問いをもらった。
依存させる支援と自立させる支援についてだ。
自立させる支援をしようと考えていても、いつしか依存させる支援に陥ってしまうのは何故だろう。
ここでは「支援」という観点で話を進めるが、これは子育てや部下の育成にも繋がる話だと考えている。
依存させる支援・自立させる支援とは
まずは依存させる支援と自立させる支援という言葉の意味について考える。
依存させる支援
依存させる支援とは、相手が必要としているものを用意してあげる支援のことだ。よく言われる例え話で「魚を与える」と言われるものだ。
食料を必要としている人に、魚を与えて食べさせる。次にお腹を空かせた時もまた魚を与える、そういう支援のことだ。
自立させる支援
一方、自立させる支援とは、相手が必要としているものをその相手が自らの手で獲得できるようにする支援のことだ。
例え話で「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」と言われている。
食料を必要としている人に釣り竿を与え、釣るための知識を伝える。最初は手取り足取り釣り方を教えるが、最終的には一人で釣れるようになるのを目指す、そういう支援のことを指す。
依存させる支援に流れる理由
依存させる支援と自立させる支援の話をすると、多くの人が「自立させる支援のほうがいいよね!」と言う。
でも実際は自立させる支援をするのは難しい。最初は自立させる支援をしようとしていても、依存させる支援になってしまう。
なぜそんなことになるのだろうか。
自立させる支援が難しい4つの理由
自立させる支援が志半ばで終わる理由を4つほど挙げる。
1.自立へシフトするタイミングが難しい
援助を必要としている人が、すぐに自立できる状態であるとは限らない。
前章で「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」の例えを使ったが、もし食料を必要としている人が釣り竿を持つ元気がないほどお腹をすかしているならば、釣り方を教える前に魚を与えて食べてもらう必要がある。
お腹が一杯になって、すぐに釣り竿を持てるかと言うと、そうとも限らない。釣り竿を持てないほど筋力が衰えているなら、筋肉を鍛えるところから始める必要がある。では筋肉が付くまで魚を与えよう、とやっているうちに、釣り竿に切り替えるタイミングを見失うパターンだ。
切り替える指標は、肉体的なものや金銭的なものだけであればまだタイミングを測りやすいが、街がどれだけ元気になれば外部の支援が必要なくなるかといった復興支援のようなものだとタイミングが本当に難しい。
また、肉体的には元気になっても精神的にはダメージがある場合なども、自立を促すタイミングが難しくなってくる。
2.罪悪感を持つ
お腹を空いている人に魚を与えると、空腹という問題はすぐに解決される。自分で魚を釣らせるのには、時間が掛かる。
問題をすぐに解決できる手段があるのに、あえて時間が掛かる方法を取ることに罪悪感を持つ人は多い。
また、自立には痛みを伴うため、援助される側が辛い思いをするときもある。辛い顔を見ることで、罪悪感を駆り立てられもする。
罪悪感が増すと、自立を促せなくなってしまう。
3.外野の口出し
理解のない外野の声は厄介だ。
「お腹空いている人に釣り竿を持たせるなんてひどい!かわいそう!」と言ってくる人がいる。
こっそりと、あるいは見せつけるように、横から入り込んで魚をあげてしまう人もいる。
そういう人は「お腹空いているのに、魚をくれないで釣り竿を渡されるなんて、あの人は冷たいね」なんて余計なことをお腹が空いている人に言ったりもする。
その言葉に流されて、支援される側も自立を促す人に悪い感情を持つことがある。
すぐに魚をくれる人がいい人で、魚ではなく釣り竿をくれる人は冷たい人と思うのだ。
冷たい人呼ばわりをされて支援者の心が折れることもあるし、支援される側が魚をくれる人の方に行ってしまうこともある。
4.自分の存在価値をそこに見出してしまう
誰かに依存されることに、自分の存在価値を感じる場合がある。
お腹を空かせている人に魚を上げると、嬉しそうな笑顔をしてくれるだろう。「ありがとう!」と感謝をしてくれるだろう。
自分がやったことで笑顔になってくれる!感謝をしてくれる!と嬉しくて、どんどん魚をあげてしまう。
そうすると、相手はいつまで経っても自分で魚をとることはできない。
「ありがとう。あなたがいないと、私は餓え死にしてしまいます。」などと言うかもしれない。
そのことに対して「私が魚をあげないとあの人は生きていけないわ!」という思うようになる。
自分が必要とされていることに、自分の存在価値を感じるのだ。
こうなると、相手が自立して魚をとれるようになることが恐怖になる。
相手が自立すると、自分の存在が不要になってしまう。
自分の存在価値が無くなってしまうのだ。
すると、相手が自立しないように、精一杯に阻止することになる。
共依存とそのパターン
共依存という言葉がある。
誰かの助けがないと生きられない人と、自分なしでは生きられない無力な人物の世話をすることに自分の存在価値を見出す人が、お互いに依存しあって生きることだ。
上記の4(自分の存在価値を見出す)が行き過ぎると共依存になる。
共依存にもいくつかのパターンがある。
例えば、支援をされる側が、相手に支援してもらわないと生きていけないと思い込む(思い込まされる)場合。
他には、支援をされる側はこの状況に気づいていて、相手の存在価値をくすぐるために自分が積極的に無力になって世話をさせる場合だ。
前者は、支援する側が、自分の望む形で支援ができるように支援される側をコントロールする。
(例:親が、子供が自分の望む通りに動いたときにのみ褒め、望まない行動を取ると理不尽に怒るなど。
「あなたはまだ子供なんだから、親の言うとおりにしなさい!」
子供は親がいないと生きていけないと思うため親に従ってしまうが、実際は子供が自立しないように親がコントロールしている)
後者は、支援される側が、自分の望む支援をさせるために相手をコントロールする。
(例:病人が、望みを叶えられなかったときに激しく文句を言うなど。
「病人にこんなことするなんて人でなし!」
支援者は病人に嫌われることを恐れるため病人に従ってしまうが、実際は病人が支援者に捨てられないように時には甘い言葉を掛けてコントロールしている。)
依存させる支援に陥らないために
この依存させる支援、自立させる支援は、私にとっても他人事ではない。
私もストレングスファインダーを使ったセッションを通じて、人がよりよく生きていけるように応援しているのだが、相手を依存させてしまっては本末転倒だ。
依存させる支援にならないようにするには、何を意識すればいいのだろうか。
答えはいろいろあるだろうが、ここでは私が心に決めていることを2点書く。
ゴールをぶらさない覚悟をする
最初は自立させる支援を目指していても、やっているうちに目指すものがぶれる場合がある。
お腹が空いている人に対して、お腹をいっぱいにさせることをゴールにするなら、魚をあげるのが手っ取り早い。
でも、自分の手で魚が釣れるようになるのをゴールにするなら、時間が掛かる。
時間が掛かっているうちに初心を忘れて、楽な方にゴールが変わってしまうことがある。
もしくは周囲からの言葉に負けて、ゴールを変えてしまうこともある。
ゴールを妥協したくならないように、自分が何のために支援をしようとしているのかを常に意識することだ。
もし周囲からの言葉が大きくて元々のゴールを達成するのが困難になりそうな場合は、半端に支援して依存させるよりも思い切って撤退してしまった方がお互いのためかもしれない。
自分が不要な存在になることを覚悟する
相手の自立を願うということは、自分が不要な存在になることである。
「あなたなしでは生きていけない」というセリフは、恋愛ドラマでは愛の言葉に使われる。
逆に「あなたは私がいなくても生きていける」は別れの言葉に使われる。
しかし、自立させる支援をしたいのならば、「あなたは私がいなくても生きていける」が愛の言葉なのだ。
実際は、相手が自立した後も視座が上がった状態での付き合いになるため、不要な存在にはならない。
しかし言い換えると、自分自身も成長しないと結局は不要な存在になってしまう。これまでの役割からお役御免になった後に、新しい立場で向き合うことを求められるのだ。
相手とともに自分も成長しなければ、自分が不要な存在になってしまう。
自分が成長するか、相手にとって不要な存在となることを受け入れるか、どちらかがゴールである。
成長を続けることに疲れることもあるし、相手にとって不要な存在になるのは悲しい。
けれども、自立させる支援をしたいのであれば、そんなことを言ってはいられない。
自分は成長したくないけれど相手にずっと必要としてもらいたい、でも一生依存し合う関係でいるのは支えきれないと思うのならば、最初から支援活動はしない方がいいだろう。
人を支援するためには、支援する側にこそ覚悟が必要なのだ。
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