家島(兵庫県姫路市)を歩いて回って、人が生きるたくましさを思った
「家島」と聞いてピンと来る人はそう多くはないのではないだろうか?
少なくても私は、家島にいくと決める前日まで、家島の存在を知らなかった。
なぜ家島に行ったのかと問われると、「そこに島があったから」としか言いようがない。
それなのに、一度訪れたら、すっかり夢中になってしまった。
そこには、無人島にも観光島にもない、生活の拠点としての島ならではの濃密な空気があったのだ。
無人島・観光島・生活島
これは家島に行って感じたことなのだが、島には無人島・観光島・生活島の三種類があると思う。
まずは無人島と有人島にわかれる。
そして、有人島には観光島と生活島がある。
人の住まない無人島。
手つかずの自然に触れたい人には、たまらない旅先だ。
そして、観光島。
有人島のうち、観光業が主産業の島である。
観光島は、観光客の誘致に力を入れている。
観光島には、宮島(広島県)のように古くから観光を生業としていた島もあれば、直島(香川県)のようにかつての主要産業が衰退し観光に舵を切った島もある。
そして、生活島。
観光以外の主要産業があるか、住民の多くが近隣の市町に働きに出るかで島の経済が成り立っている島だ。
観光客の誘致をそもそも考えていない自治体もあれば、誘致していなくはないがそこまで力を入れていない自治体もある。
今回の記事で取り上げる家島(兵庫県)は、まさに生活島に区分される島である。
家島諸島とは
今回訪れた家島諸島は、兵庫県姫路市に属する大小40あまりで構成されている諸島である。
家島諸島のうち、人が住むのは4島。他は面積の小さい無人島だ。
家島諸島全体の人口の約6割にあたる2693人が家島本島に住んでおり、坊勢島に2165人、男鹿島に38人、西島に2人となっている。(平成27年度国勢調査より抜粋)
家島諸島の各島の主要産業は漁業と採石だ。
家島本島訪問記
ここからは、私が家島を訪問したときのことを書いていく。
なぜ家島だったのか
冒頭にも書いたが、家島を訪問した理由は「そこに島があったから」としか言いようがない。
きっかけは趣味の野球観戦のための関西訪問だった。
観戦の翌日、特に予定がないので淡路島にでも行こうかと考えていた。
ところが淡路島で行きたいと思った店が、とても人気で混雑していて行列ができているらしい。
出発前夜に地元の方に教えてもらった。
行列に並んでまで行きたい情熱はないので淡路島行きを断念した。
しかし、関西まで行ったはいいものの、他にやりたいことが思い浮かばない。
気持ちはすっかり「島」になっていたので、なんとなく検索をしたのだ。「兵庫県 離島」と。
そこに出てきたのが、家島諸島だった。
ただそれだけで、何の情報もないまま、家島に向かった。
家島に向かう船事情
家島に行くには、姫路港から出ている船に乗ればいい。
JR姫路駅からバスで20分で姫路港に着く。
姫路港から家島本島までは船で30分〜40分ほどだ。
同じ船に乗る客は10人程度。
私以外はイオンのビニール袋やユニクロの袋を持っていたりする、買い物に出てきた島民のようだった。
船を巡る戦い
姫路と家島を結ぶ船は、高速いえしまと高福ライナーの2社が乗り入れている。
「小さい島なのに競争があるなんて、すごいなあ」くらいしか考えていなかったが、帰宅後調べたら、なかなかすごい物語があった。
もともと姫路−家島間の往来は家島汽船という会社の独占運行だったらしい。
しかし、本数は少なく、速度は遅く、最終便が18時台と、島民にとっては使いにくくてたまらない運行だったようだ。
家島汽船側に再三改善を要望したものの、家島汽船側は赤字を理由にそれを拒否。
業を煮やした島民達が、なんと高速船を購入して自主運行を始めてしまう。
この事態に驚いた運輸省は、島民達に対して定期運行の認可を出さずに運行中止を勧告した。
長年に渡り家島汽船に要望を無視されていた島民達は、運行中止に耳を貸さずに運行を継続。
家島汽船は客を奪わた。
一方、家島町民の要望に沿ったダイヤで運行する島民達の船は、2隻目を購入するほどの繁盛ぶり。
ついに運輸省も諦めて、家島町が参加した第三セクターであればと島民達の船を認可。
このような経緯で生まれたのが高速いえしまなのだそうだ。
なお、家島汽船も船を新調し、運行ダイヤを見直して一時は経営を立て直したものの、新規参入してきた高福ライナーを交えた競争に耐えきれず、倒産してしまう。
そういった理由で、今は高速いえしまと高福ライナーの二社体制で運行されているのだそうだ。
歴史にもしもは禁物だが、ついつい振り返りたくなる。
家島汽船側は、航路に成長の可能性がないと思っていたのか、それとも一社独占の驕りがあったのか、赤字を理由に島民の要望を無視し続けた。
でも実際のところ、家島汽船が赤字だったのは、島民の要望を無視したダイヤで運行し続けたからだったのだ。
あのとき島民の要望を聞いて運行ダイヤを改善していれば、一社独占で大儲けできていたのに…などと、経営というものについて考えさせられてしまう。
ただ、この段階の私は、全くこういった物語を知らずに、ぼんやりと外を眺めていた。
家島上陸!
さて、家島に到着した。
港近くのふれあいプラザで島の地図を貰う。
当初は、もっと詳細な地図が欲しいと思ったが、実は道路などはこの地図が概ね正確だった。
もしこの地図にない道があったなら、それは採石場への道などの一般客が立ち入ってはいけない道なのだ。
家島の町並み
船から見た家島は、建物がびっしりと並んでいた。
実は家島は島の大部分を山が占めていて、建物が建てられるところが限られている。
そのため、数少ない平地には建物がぎっしりと建っているのだ。
港から海を見ると、船がぎっしりと並んでいる。
まずは島の外周を歩く。
すれ違う人が、こちらの顔をじっと見てくる。
見慣れない顔だと思っているのだろう。
話し掛けてみたいが、このご時世なので遠慮して、怪しいものじゃないと伝えるがために会釈をする。
マスク越しにでも笑顔が伝わるように、3割増しで笑顔を作ってみる。
途中、すれ違う車は全て軽自動車だ。
道幅が狭くて普通車だと不便なのかもしれない。
島自体が狭く、定期運行のカーフェリーもないため長距離ドライブもする機会もないし、普通車である必要はないのだろう。
フェリーがないのに、どうやって運んでくるのかも気になる。
港から数分離れたら、すれ違う人が誰もいなくなった。
道路は二車線見えるのだが、一車線分は私有地のように使われている。
島の内部に向かう道があったので、急な坂道に怯みつつも進むことにした。
振り返ると、海が見える。
だいぶ高いところまで登ってきている。
坂道を登りきると、山の中に出た。
途中あった分かれ道には「無断入山禁止」の文字があった。
すでに今いるところが山のような気もするので、今更入山禁止と言われましても、という気分である。
とはいえ、いきなり島にやってきてご迷惑をお掛けするのも忍びないので、このルートは進まないこととする。
この後、上記のような景色の道を、ひたすら1時間以上歩き続けた。
誰ともすれ違わない。
車すら通らない。
同じ景色が続くため、自分がどこにいるのかも分からない。
上り坂なので、山を登っていると思われるが、どこにたどり着くのかも分からない。
このまま夜になって暗くなったら何も見えなくなりそうだ。
人も車も通らないなら、助けを求めることもできなさそうだ。
なんとなく不安になる。
道の脇のヨモギの匂いに心が癒やされる。
小さいバッタを見つけて嬉しくなる。
このまま歩いていっていいのだろうかと悩みつつ歩いていたら、「いえしま荘」という看板を見つけた。
自分の居場所がわかってホッとする。
ついでにいえしま荘の方に登ってみることにする。
実は、島でお昼ごはんを食べようと思っていたのだが、ここまでで開いている飲食店は一軒もなかった。
飲食店どころか、山道に入ってからは建物が一つもないのであるが。
もしかしたらいえしま荘に行けば、食堂があるのではという期待を込めて向かう。
結論から言うと、いえしま荘は営業はしているようだったが、人が誰もいなく、ご飯は食べられなかった。
完全に宿泊のみの営業なのかもしれない。
昼ごはんは諦めて、ひたすら道を進んでいく。
道は下り坂にうつる。
山をずっと降りていったら、採石場に出た。
この時点で、既に島を半周以上している。
山道をもっと先に進む道と、町に進む道の分かれ道に来た。
ちょっとだけ迷って、町に向かうことにした。
運動不足の身体に、舗装されているとはいえ山道のアップダウンは酷だ。
途中で疲れて歩けなくなったとしても、この町にタクシーがあるような気がしない。
自分の体調は自分で管理しないとダメなのだ。
無理は禁物だ。
町に向かって歩くと、学校があった。
島の人口に対して、校舎が新しく大きく、意外に感じる。
このあたりには人家が並ぶ。
ちょっとした食事処(お好み焼き屋など)もあるが、どこも開いていない。
日曜日にふらりと外食をする習慣はないのかもしれない。
昼ごはんは本格的に諦めたほうがいいだろう。
港が近づくにつれて、車が通り、人の姿も見かけるようになる。
あ、小学校だ!
港に近づいてきた。
住宅が密集している。
ようやく一軒、営業している料理屋さんを見つけたが14時で閉店だと言う。
今の時間は14時10分。残念。
島の外周の道から、奥まったところに入ってみた。
住宅街になっているのだが、何せ道が狭い!
知らない人とすれ違うことに抵抗を感じるほどの道の狭さだ。
都市計画区域の接道義務なんて言葉とは無縁であることは分かるが、それにしてもここまで道が狭いと、家の建て替えをするのは難しいだろう。
案の定、空き家もある。
その空き家が、私の幼い頃…1970年代だ…に見かけた家屋を思い出させる佇まいだった。
港まで来ると、1時間以上も人と全く会わずに歩いてきたことが嘘だったかのように、人の暮らしの息吹を感じられた。
最後に家島の観光名所の一つ、「どんがめっさん」と呼ばれる亀の形をした岩を見てから帰るとしよう。
最後にお土産を購入して、帰路についた。
島で暮らすということ
ただ歩いて一周するだけでは、島のことは何もわからない。
それでも気になるものがいくつか目についた。
軽自動車しか見ないこともそうだ。
住宅街の道の狭さもそうだ。
家島は平地が少ないため、省スペースであることは重要なのだろう。
テレビや冷蔵庫といった大型家電や、はたまた車まで、大型のものが屋外に放置されているのも見た。
大型家電は、不法投棄にしては整然と並んだ状態で山の中に置いてあった。
車は、ナンバープレートがないものもあれば、付いたまま車体が朽ちているものもあった。
大きなものは捨てようがないのだろう。
購入時に持ってこれたのであれば捨てる方法もあるはずであるが、売った側にしろ買った側にしろ手間とお金を掛けてまでやりたい作業ではないだろうと予測する。
良いとか悪いとかではない。
人が生きるということは、こういうことなのだ。
人が楽に住める環境ではなかったとしても、人は工夫をして暮らす。
できることとできないことの折り合いをつけながら暮らす。
そういった、人が生きることのたくましさを、この島で垣間見させてもらったように感じている。
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