「父親は家にいて家族のために時間を使うべき」という思い込みから見えたもの
許せない思い
今私が学んでいる、ビリーフリセットカウンセリング講座での一コマ。
受講者同士がペアになって行うワークは、他人に対して許せないと思うことを書いて、それを掘り下げるワークだった。
あの人のこういうところが許せない。
こんな思いをいくつか書いた中で、ひとつピックアップする。
私はこの思いを選んだ。
「父親は家にいて家族のために時間を使うべきだ」
なぜ選んだか
一つ断っておくと、実際に私が子供の時に父親にそう思っていたのかは、自分でもよくわからない。
私の父は家にほとんどいない人だったが、当時の私は「最後の最後には家に帰って来るからいいよね」と思っていた。
父親が家に帰ってこないことによって常に感情を乱されている母のことは冷めた目で見ていた。
ただ、私は、幼い頃から自分の感情にフタをして良い子でいることに努めていたので、本当に自分がそう感じていたのか、その方が手のかからない良い子でいられるからそう思い込んでいたのか、自分でも判断がつかないのだ。
自分で判断がつかない事象を取り上げたのには理由がある。
大人になった今、家に帰らない父親を見るとモヤモヤするのだ。
例えば会社にも、やる必要のない仕事をダラダラやることで家に帰らない父親がいる。
彼を見ると、それでいいのか?と問い詰めたくなる。
同じようにダラダラ仕事をして家に帰らない独身男女には何の感情も湧かないのに、この差は何だろう。
このモヤモヤを解く鍵として、私が「父親は家にいて家族のために時間を使うべきだ」と思っていると仮定してみた。
これを掘り下げると何が出て来るだろうか。
ビリーフリセット開始
ビリーフリセット…これまでの思い込みから自由になること…の手法にはある程度の手順がある。
ありとあらゆる角度から「思い込み」を検証して、揺さぶりをかけるのだ。
揺さぶり・1
実習のパートナーが、私に質問をして揺さぶりをかける。
私はそれに対して悩み悩み回答をする。
ところが、私の答えを聞いたパートナーも悩ましい顔になっていった。
私の回答に矛盾があるらしいのだ。
「父親は家にいて家族のために時間を使うべきだ」と考えることのデメリットとして、「私も家にいないといけないから」と答えた。
お父様が家にいるからといって、しづかさんが家にいる必要はないよね?と質問者は不思議に思う。
そして、「父親は家にいて家族のために時間を使うべきだ」と言っているのに、父親が家にいない方が気が楽だと答える。
お父様に側にいて欲しいの?欲しくないの?どっちなの?と質問者は言う。
この矛盾について、回答しているときは全く自覚はない。
指摘されて改めて思い直すと、父親に家にいて欲しいのかいて欲しくないのか、自分でもよくわからないのだ。
それなら、どうして「父親は家にいて家族のために時間を使うべきだ」などと思うのだろう。
揺さぶり・2
あらゆる角度から揺さぶりをかけていく。
主語と目的語を置き換える、という方法もある。
例えば「父親は家にいて、家族のために時間を使うべきだ」を、「私は家にいて、私のために時間を使うべきだ」に置き換える。
そして、なぜならば…、とその理由を考える。
ところが、これが難しい。
私の口から出るのはこういう言葉だ。
「主婦だから家にいなくちゃ。夫の方が給料高いから家事やらなくちゃ。これが結婚するという意味じゃない?」
実習パートナーは言う。
「しづかさんのために時間を使うという話だよ?家族のために時間を使わなければいけないという話になってるよ。」
でも、私にはどうしても受け入れられない。
「え、でも、やらなきゃいけないことはいっぱいあるし、これをやらなきゃ自分のことができないし。」
どうしても自分のために時間を使うという発想ができない私と、そんな私を見てどうしていいか分からなくなったパートナー。
困り果てた2人を見た、ビリーフリセットの手法を構築した講座の主催者である大塚あやこさんは言った。
「しづかさん、役目に縛られてますね」
気づき
「しづかさん、役目に縛られてますね」
この言葉を聞いた瞬間の私は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていただろう。
反射的に否定しそうになるが、真実を言い当てられたことにはすぐに気がついた。
あまりに驚いて言葉が出ない。
心当たりは、ありすぎるほどある。
自分が抱えている家族関係の悩みや違和感は、全てこれで説明ができる。
年末年始に帰省するのが苦痛なのに帰らないという選択肢を取れないのは、「娘」という役目に囚われているせいだ。
抱えている家事を全部終わらせないと自分のやりたいことに取りかかれないのは、「妻」という役目に囚われているせいだ。
夫のことは嫌いではない…大丈夫、愛してると言える…のに、彼がいない休日にほっとするのは、一人でいる間は「妻」をやらなくていいからだ。
しかも、事実はこうだ。
夫は私に「妻」であることを求めていない。
それは夫が何度も私に繰り返し言ってきたことでもあるし、態度も一貫している。
自分が「夫」をやるつもりがないため、私に「妻」を求めるのはフェアではないと思っているようだ。
そして、一人暮らしが長く、彼は生活を一人で完結させることができるため、「妻」がいなくても支障がないと思っている節もある。(ご飯は私が作る方が美味しいため、作ると喜んでくれるが)
基本的にこの結婚生活は、一緒にいる方が一人より楽しいからという理由で継続されている。
それなのに、私はずっと夫のこの思いを信じることができなかった。
何度も何度も「もっと好きなことやっていいよ」と言ってくれているにも関わらず「何でそんなに遊び歩いてるんだ、妻らしいことをしろ!」と怒られるのではないかと不安だった。
私が自分の役目に囚われているせいで、勝手に夫の気持ちを疑って怯えていたのだ。
もう何度も何度も夫にこれでいいのか確認し、夫の方も「好きなことをしなさい。帰りが遅くなってもいいからやりたいことをやりなさい」と言い続けてくれているのにだ。
なんて愚かな一人相撲なのだろう。
解放
「私は私の役目を全うしなければいけない。」
私の奥深くに潜んでいたこの思い。
この思いのせいで、やりたいことができず、人の気持ちも疑っていた。
もういい。
この思いを手放そう。
ビリーフリセットカウンセリングでは思い込みを書き換えることもサポートされる。
「父親は家族のために時間を使ってもいい、使わなくてもいい。どっちでもいい」
家族の形なんてそれぞれなのだから、いわゆる一般的な父親母親がやることを、やらない家庭があったっていいじゃない。
家族全員が自分の時間を楽しめたら、それもまた理想の形なんじゃないかな。
そう、だって私の父親は家族のために時間を使うことはほとんどなかったけれど、もっと言うと、母親も一般的な母親とはだいぶ違った母親だったけれど、一人娘は無事に育ったのだもの。
両親が一般的な親の役目を果たさなくても娘がちゃんと育ったのだから、娘も一般的な娘の役目を果たさなくてもいいよね。
夫が妻の役目を求めていないのだから、妻も妻の役目に縛られる必要ないよね。
夫婦で満足していれば、一般的な夫婦の形なんて目指す必要ないよね。
会社なんていろんな人が集まる場なのだから、会議と会社飲み会が嫌いな残業をしない課長がいてもいいよね。
「一般的」なんて目指さなくていいや。
だって私自身が「一般的」なものに興味がないんだもん。
それなのに「一般的」になろうとしてたんだもん、それは苦しいはずだよね。
その後
ビリーフとは、主に幼い頃に自分の中に入り込んで、当たり前のものとなってしまった思い込みのことだ。
あまりに長い間、当たり前のものとして思考や行動に影響を与えてきたものなので、ビリーフに気がついたとしても、癖でこれまでと同じ行動を取りそうになる。
役目を全うしなければという気持ちと、役目から解放されたいと思う気持ちを行ったり来たりしていたある日、突然それは起きた。
身体中がだるくて、動けなくなった。
激しい無価値観に襲われて、生きていることが世の中に対して申し訳なくなった。
朝ごはんを食べるか否かという単純なことも自分では決断できなかった。
接した人を傷つけるような気がして、誰とも口をきけなくなった。
大勢の人がいるところでボロボロと涙が溢れて、でもそんな自分を止められなかった。
それは2日間続いた。
大混乱の2日間だった。
そして気がついた。
私のこれまでの行動の原動力は「役目を全うすること」だったのだ。
役目があるから、行動できた。
役目があるから、判断と決断ができた。
役目を全うするから、私には価値があると思っていた。
この原動力を失って、私はどうすればいいか分からなくなった。
今、少し、途方にくれたような気持ちになっている。
でも、これからは人に期待されていると思い込んでいた役割ではなく、自分が期待する自分を生きていいのだ。
今、私は、途方にくれてはいるが、同時に、新しい冒険が始まる瞬間の高揚感を感じてもいる。
さあ、これから、どこに行こうか?