夫・妻の存在価値とは?稼ぐ・家事・出産・育児が外注できる時代に夫婦でいる意味とは何か・前編


夫婦間の「やること」4項目?

夫婦間の役割分担の話でよく出て来るのは、稼ぐ、家事、出産、育児、の話だ。

例えば専業主婦世帯では、夫が「稼ぐ」を担い、妻が「家事」「出産」「育児」を担うことが期待されていることが多い。
専業主夫世帯であれば、妻が「稼ぐ」「出産」で、夫が「家事」「育児」だろう。
共働き世帯では、「出産」は妻がするしかないが、「家事」と「育児」の分担割合を「稼ぐ」の割合に応じて決めたりもする。

いずれにせよ注目されるのは、「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」の四点だ。

外注が可能な世の中に

夫婦間の「やること」を「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」と仮定したが、これらは必ずしも夫婦のどちらか(もしくはどちらも)がやるべきことなのだろうか。

実際には、外注という選択肢が存在している。

育児

「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」の4つの中で、外注の歴史が長く、今も一般的に外注が行われているのが「育児」である。

乳母という言葉は飛鳥時代から使われている。
高貴な身分の人だけでなく、商家や農家でも子守をするための若い女性を家に置くことが行われていた。

今では、育児を全て外注する家庭は少ないが、保育園や学童保育は多くの人に利用されている。

私が子供の頃は、「保育園の子はかわいそう」や「あの子は保育園の子だから…(悪い子だ)」といったことを言う人もいた。
しかし、大人になった今、保育園だった子が全員かわいそうな人生を歩んでいるかというと、全くもってそのような事実はないし、幼稚園だった子が全員品行方正な人生かというと、そういうこともない。

「保育園の子は…」という揶揄はただの偏見だということに、多くの人が気づいているだろう。

家事

家事の外注も、ここ数年で随分と市民権を得てきた。

我が家でも、家事代行サービスを利用している。
私も夫も掃除が嫌いで、どちらが掃除するかでいつもイライラしていたので、思い切って導入した。
今は日々の掃除は、掃除機がけはルンバが行い、浴槽を洗剤のいらない掃除用具で2日に1度ぬぐうのみだ。
月に1度、家事代行サービスの方に来てもらい、ルンバでは届かない部分の掃除機かけや、洗剤を使った水回りの掃除、棚を拭いたり、台所のこびりつきを取るなどの家中の掃除をしてもらっている。
留守の間に来てくれるので、掃除の日は家に帰るのが楽しくなるほどだ。

夫婦二人暮らしの我が家では、この頻度で充分きれいに保てている。
月1万円も掛からずに、イライラの種が消滅したのでありがたい。
 
我が家は家事の一部だけの外注だが、私がお願いしている家事代行サービスの業務内容には、掃除だけでなく洗濯も料理もアイロンがけも靴磨きも買い物もゴミ出しも役所の手続きも含まれる。
全ての家事を丸投げするのも可能なのだ。

出産

そこまで遠くない未来、出産も外注可能な時代が来るのではないだろうか。
身体に負担なく卵子を採取することができるようになれば、夫の精子と妻の卵子を受精させ代理母に産ませるような外注が行われる可能性があると考えている。

「女性の社会進出」が叫ばれている世の中だが、どうしても出産でキャリアが一時中断される。
キャリアを中断したくないが自らの子供が欲しい女性の脳裏に代理母という選択肢が浮かぶことは止められないだろう。
もしかしたらかつて何かの漫画で見たような、受精卵を赤ん坊まで育てるための孵化器のような装置が出来上がるかもしれない。

技術面をクリアしても、倫理面の問題も大きい。
しかし、研究が進めば、「男女の産み分けをしたい」「先天異常は避けたい」といったニーズに応えることにも繋がるため、求める人はきっと出て来る。

「お腹を痛めて産むからこそ子供を愛しく感じる」と言われるが、帝王切開や無痛分娩でも我が子を愛しいと思うことを現役の母親たちは知っている。(逆をいうと、お腹を痛めた子であっても、子供を憎たらしく感じる瞬間はある)
同じように、「自分のお腹で育てるからこそ子供を愛しく感じる」という感覚も、「自分のお腹で育てようと育てなかろうと我が子は愛しいものだ」と認識される時代が来るかもしれない。

稼ぐ

こちらについては、「出産」より実現性が高いかもしれない。
世界で議論が起こり、一部試験導入も行われている、ベーシックインカムだ。

お金を払って誰かに頼む訳ではないため外注ではないが、ベーシックインカムが導入されると、夫婦どちらか(どちらも)が役割を担わなくても必要最低限の収入が入るようになる。

自らの存在価値

「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」が外注できたとしても、実際に外注を行うにはハードルがある。
金銭的な問題以前に、心理的な抵抗を感じる人が多いのだ。

「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」を家庭生活を送るための義務だと感じていればいるほど、外注に抵抗を感じる。
「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」を義務感で行なっているとき、同時に、家庭内における自らの存在価値が「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」にあると無意識に思うのが、その理由だ。

自らの存在価値が「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」にあると、他人に任せることに激しい抵抗感が出る。
「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」をやらなくなると、自分が家庭内に存在する意味が見出せなくなるのだ。

義務≒恩着せがましさ

義務だと思うと、やりたくない時も我慢して行なう。
我慢が積み重なると、相手に対して恩着せがましくなる。

家族を養うために稼がなければいけない。
家族のために家事をしなければいけない。
という思いが、
「誰の金で暮らしてると思ってるんだよ!」
「私が洗ったパンツ履いてるくせに何言ってるの!」
という会話を生む。

しかし「稼ぐ」にも「家事」にも代替手段があるならば、この会話はこう変わる。

「誰の金で暮らしてると思ってるんだよ!」
「別にあなたが稼がなくても、政府がお金くれるから、それでいいんだけど」
「…。」

「私が洗ったパンツ履いてるくせに何言ってるの!」
「それなら洗濯は外注に出すから、もうやらなくていいよ」
「…。」

自分の存在価値がそれをすることだと思っていると、「しなくていい」と言われることは、自分の存在価値を否定されたと同じ意味となる。
そうやって存在価値を叩き壊したとき、他の部分で存在価値を感じていないと、泥沼にはまったような暗い気持ちになる。

ところで、家庭における存在価値とは、本当にその四点にあるのだろうか。

夫婦の存在価値は他にある

もし時代が発展して、「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」が全て外注できるようになったら、夫婦の存在価値は無くなるのか。
独身男女の結婚しない理由として、「稼ぐことも家事も自分でできるから」と答える人があるが、それは「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」のみが夫婦の存在価値だと考えていることの裏返しだろう。

しかし、実際のところ、結婚生活に「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」以外の価値を見出している人は多い。
「稼ぐ」「家事」「出産」「育児」を自分たちの手で行わなくても、夫婦には夫婦の存在価値があるのだ。

その「存在価値」が何かは、後編に続く。

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