義務を捨てよ、抱き合おう。〜夫婦でいる意味とは何か・後編


前編(稼ぐ・家事・出産・育児が外注できる時代に夫婦でいる意味とは何か?)はこちらから。

前編では、稼ぐ・家事・出産・育児を自分の存在価値と感じていないか、という話を書いた。
ここに存在価値を置いてしまうと、これらを全て外注できる時代になった時に、自分の存在価値を見失ってしまう。

それでは、夫婦においての存在価値とは、何だろうか。

原初の欲望

人間にとって切り捨てるに捨てられないものが、三大欲求である。
睡眠欲・食欲・性欲がそれだ。
この中で、睡眠と食は一人で賄うことができるものだが、性欲は一人では賄えない。

性欲は一人では賄えない?いや、自己処理できるでしょう?なんなら外注もできるでしょう?
こう思う人もあるだろう。

「性交渉」だけを切り取ると、確かに自己処理も可能だし、風俗にて賄うことも可能だが、私はここでいう性欲とは、性的な交渉だけではないと考えている。

生まれたての赤ちゃんの求めるもの

生まれたての赤ちゃんの欲求はシンプルだ。
眠る。食べる。抱っこを求める。
眠いといっては泣き、お腹が空いたといっては泣き、抱っこして欲しいと泣く。
生まれたての赤ちゃんの求めることは、これだけである。

大きくなるにつれ知恵がついて「世界を征服したい」などと言いだしたとしても、原初の欲求は消えることはない。

人間の三大欲求

眠ること。食べること。抱きしめられること。
生まれてから死ぬまで持ち続ける、この3つの欲求こそが人間の三大欲求である。

俗に、睡眠欲、食欲、性欲と言われるが、この場合の性欲は、抱きしめられることも含むと私は考える。

三大欲求の大切さ

この三大欲求は、どれも人間が人間として存在するために大切なものだ。

睡眠を疎かにすると、脳が壊れる。
食事を疎かにすると、体が壊れる。
抱きしめられることを疎かにすると、心が壊れる。

三大欲求は、ただの欲望ではなく、生死に関わる重要なものなのだ。

毛穴の欲求

「抱きしめられること」は一人では賄えないが、抱きしめてくれれば誰でもいいというものでもない。

臭いものを前にしたら、無意識に鼻の穴を塞ぐ。
嫌いな食べ物を前にしたら、無意識に口を閉じる。
同じように、心を許していない人に抱きしめられたら、毛穴がキュッと閉じる。

臭いが鼻に入ってこないようにしたり、美味しくないものが口に入ってこないようにしたりするのと同じく、毛穴も何かが侵入するのを頑なに拒むのだ。

逆に、好きな人に抱きしめられると、毛穴は緩む。
身体の力が抜け、ほっとするとき、毛穴も開いているのだ。
その時、全身の毛穴から、何か温かいものを受け入れている。
その温かいものが、心を温めてくれる。

外注できない理由

睡眠、食、抱きしめられることのうち、抱きしめられることは一人では賄えない。
そして、外注することもできない。
その理由は2つある。

毛穴は制御できない

悪臭がするとわかっていても、臭いを嗅ごうとすればできなくはない。
美味しくないとわかっていても、無理矢理食べることもできる。
しかし、毛穴だけは、自分の意思ではどうにもならない。

毛穴を開かせることができるのは、心を許した人だけだ。
自分の意思で口を開くことはできるが、毛穴を開くことはできない。

温かいとは限らない

もし、好きな人に抱きしめられて毛穴が開いたとしても、そこから入って来るものが温かいものとは限らない。

好きな人に抱きしめられているはずなのに、心が冷え冷えと感じることはないだろうか。
毛穴から温かいものが入って来るときは、相手が自分を大切に思ってくれているときである。
相手が自分を大切に思っていないときは、形式的に抱きしめられても毛穴からは何も入ってこない。
もしくは、冷え冷えとしたものが入って来る。
それでは心は温まらない。

誰でもいいわけではない

抱きしめられて心を温めるためには、自分が心を許している人、なおかつ、自分のことを大切に思ってくれる人に抱きしめてもらわないといけない。

心を許していない人に抱きしめられても、虚しいだけだ。
自分のことを大切に思ってくれない人に抱きしめられても、寂しいだけだ。

この虚しさや寂しさは、心を傷つける。

抱きしめてくれる人がいる幸せ

人間の三大欲求のうち、心を満たすための「抱きしめられること」は自己処理できず、そこらの人に頼めるものでもない。
だからこそ、抱きしめて欲しいときに抱きしめてくれる人が存在することの喜びは、何に変えられるものでもない。

不安と安定

野良猫を買ったことがある人なら分かるだろう。
野良の経験がある猫は、出された餌をガツガツ食べる。
お腹いっぱいであっても、目の前にある限り、ひたすら食べる。
それに対して、生まれた時から家で飼われていた猫は、お腹がいっぱいになると残す。

次いつ餌にありつけるか分からない生活が長いと、次いつ食べられるか不安なため、餌が目の前にあるときには必死に食べる。
それに対して、常に必要なものが与えられていると、満たされているためガツガツしない。

人間も同じだ。
抱きしめて欲しいときに抱きしめてくれる人がいないと、不安になりやすい。
それに対して、抱きしめて欲しいときに抱きしめてもらえることが分かっていると、それだけで満たされて安定する。

抱きしめてほしいときに抱きしめてもらえたら

もし、身近に抱きしめてくれる人がいたら、どんなに幸せだろう。
辛いことがあったときも寂しいときも、1日の終わりに抱きしめてもらえたら、随分と心がほっとするだろう。
新しいことへの挑戦で不安なとき、抱きしめて「大丈夫だよ」と言ってもらえたら、どんなに力になるだろう。
嬉しいことがあったとき、よかったねと抱きしめてもらえたら、どんなに満たされるのだろう。

大人になると、抱きしめて欲しいからといって、赤ちゃんのように泣くわけにはいかない。
抱きしめてと頼むのも、なかなか気恥ずかしい。
そこを気負わず抱きあえたら、どんなにかいいだろう。

どんなに世の中が発展しても

この世の技術が進展したら、人間がやらなくてはいけないことは、随分と様変わりする。
でも、どんなにAIが発展しても、VRがリアルになっても、毛穴を満たすことまでは難しい。
バーチャルなものが毛穴から流れ込んでも満たされても、それはバーチャルな感覚だ。
擬似的に心を温めたつもりになっても、そこには虚しさと寂しさがある。

この先世の中が発展したら、稼ぐことも家事も出産も育児も、人間がやらなくてよくなるはずだ。
そのとき、夫婦間に何が残るだろう。
お互い抱きしめあい、満たし合うことができれば、もうそれで充分ではないだろうか。

抱きしめあうのに、技術の発展を待つ必要はない。
今すぐ抱きあおう。
人間の根源的な欲求はいつの時代も変わらない。

稼ぐことも家事も出産も育児も、結婚生活のオプションだ。
うまくできなくたっていい、全然できないことがあってもいい。
そんなときも抱きしめあって心を満たしあうことができれば、もうそれで結婚生活は上々なのだ。

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