自分と誰かの意見が違うとき、理解し合うためにやるべきこと
自分の意見と人の意見が違うことは多々ある。
むしろ、自分の意見が自分の知識と経験から生み出されている以上、人と同じになる方が珍しい。
意見の違いにはどういう対処法があるだろうか。
まず最初に大切なこと
意見が衝突した際に、自分の意見をどう伝えるかに力を入れる人が多いが、その前にすることがある。
それは、相手がなぜそう考えているのかを理解しようとすることだ。
意見というのは、とある事実に対して、自分の知識や経験や感情によって解釈をし、生まれたものである。
自分にとってその意見が正しいものであるように、相手にとっても、相手の知る事実に対して知識や経験や感情で解釈をした結果の意見であり、正しい意見なのだ。
お互いの「正しい」をぶつけても、何も解決しない。
解決のために必要なのは、なぜ相手がそういう意見を持つに至ったのかを理解することである。
解決の方法:基本パターン
誰かと意見が違う場合、なぜお互いがその意見を持つに至ったのかを理解することが大切だ。
お互いが把握している事実と、それに対する解釈を確認することから始める。
見ている事実が違う
意見が違う場合、まずどのような事実を元にその意見が生み出されたのかを確認する。
とある会社で部署の飲み会が企画されているようだ。
飲み会をやりたい社員とやりたくない社員で意見が割れている。
Aさん
■事実:給料日まであと1週間あるが、全財産は5000円のみ
■解釈:飲み会に行ったらお金が吹き飛ぶ
■意見:飲み会の開催に反対
Bさん
■事実:今度の飲み会は全て部長のおごりらしい
■解釈:ただ酒飲めてラッキー
■意見:飲み会の開催に賛成
Aさんは飲み会が部長のおごりだという事実を知らない。
この場合は、Aさんがその事実を知れば、意見が変わって飲み会に参加する気になるだろう。
こうやってお互いが知る事実を揃えるだけで、問題が解決する場合もある。
しかし、そう簡単にいかないこともある。
Cさん
■事実:課長は酔うとセクハラオヤジになる
■解釈:飲んだ課長の隣の席になったら最悪
■意見:飲み会の開催に反対
AさんとBさんは、課長が酔うと女子社員にちょっかいを出していることを知らなかった。
しかし知ったからといって、お金のないAさんは一食分浮かせるチャンスを手放したくはない。
一方、Cさんは部長のおごりであっても飲み会に行きたくはない。
この場合、知っている事実を揃えても解決しないので、落とし所を見つけることになる。
AさんとBさんは「俺たちがずっとCさんの隣にいて課長が来ないようにするよ」とCさんを守ることを約束した。
Cさんは、渋々ながらも出席することにした。
解釈が違う
同じ事実を見ていても、解釈が違う場合がある。
Dさん
■事実:今度の飲み会は全て部長のおごりらしい
■解釈:部長は恩着せがましくなって面倒なことを言うのではないか
■意見:飲み会の開催に反対
このように同じ事実を見ているのに、解釈が違う場合は難しい。
部長におごられた後にひどい目にあった人がいるという事実があるならわかりやすいが、そうではなくDさんの推測だけであれば、肯定も否定もしようがない。
こういう場合、ほとんどのケースで「Dさんの気のせいだよ」「Dさんって考えすぎだよね」と、あっさり片付けられてしまうのではないだろうか。
それでは、Dさんは「誰もわかってくれない!」と孤独を感じる結果となる。
なぜDさんがそういう解釈をするに至ったのか、Dさんのどんな知識や経験や感情がそれを言わせているのかを探ることが理解し合う道だ。
Dさんは前の職場でそういう経験をしたことがあるのかもしれない。
もしくは何らかの理由で部長に対する信頼を損ねているのかもしれない。
理由がわかれば、解決の糸口が掴めるだろう。
どんな解釈でも、その人にとっては正解
どんなに解釈が違っても、誰かがした解釈はその人にとっては正解である。
例えば、配偶者を殴りつけることはDVだという認識はかなり広まっているが、実際にDVをする人にはこの常識が通じない。
それどころか「相手に常識がないから、殴ることで教育をしてあげている」と答えたりもする。
そういう人は「こうやっていちいち教えてあげている自分は、相手にとって最高の配偶者だ」と本気で思っているのだ。
こういう人に「非常識だ!」「間違ってる!」と言っても、絶対に通じない。
自分のことを正しいと信じている人に、「非常識だ!」と言っても、こちらが非常識扱いをされるだけである。
そういう人に出会ったら、まず、自分とは違う解釈をする人がいることを認めることだ。
と言っても、相手の解釈そのものを認める必要はない。
たとえ非常識な解釈であっても、それを常識だと信じている人がこの世にいる、ということを受け入れるのだ。
どんなにひどい解釈だと感じても「あなたはそういう解釈をするのね」と一度受け止める。
(大事なことなので繰り返すが、受け入れられない解釈を受け入れる必要はない。あくまでも、この人にとってはこれが真実なのだ、と理解するだけだ)
相手の真実に土足で踏み込んでも、相手からは1mmも共感は得られない。
もしこういう人と理解し合いたいならば、相手の解釈が周囲の人にどのような影響を与えているのかを、そして自分は同じ事柄に対してどういう解釈をしているのかを、少しずつ時間をかけて伝え合うしかない。
解決の方法:実際のパターン
これまで記したように、事実や解釈を照らし合わせることで解決するといいが、実際は必ずしもうまくいかない。
なぜなら、人は自分の意見の先に目的があるからだ。
目的が違う
人間関係が難しいのは、全ての人が本音の意見を言うわけではないからである。
Bさん
■事実:今度の飲み会は全て部長のおごりらしい
■解釈:ただ酒飲めてラッキー
■意見:飲み会の開催に賛成
■本音:Cさんってかわいいし性格も素敵
■目的:この機会にCさんと仲良くなりたい
Bさんの本当の飲み会に行きたい理由は、好意を持っているCさんと仲良くなるチャンスだからである。
ただし、会社の人の前では、そんなことは絶対に言えない。
それで口では「ただ酒飲めてラッキー」と言っているのである。
もしここで、部長が「え?おごるなんて一言も言ってないけど?」と言い出したらどうなるだろうか。
もともとただで飲食することが目的だったAさんは、飲み会開催に反対するだろう。
一方、Bさんは、ワリカンであっても飲み会を開催したいだろう。
ここでAさんは、「あれ?Bさんがただ酒だから行くって言ってたのに」と不思議に思う。
このように言ってることと態度が釣り合わない場合、その人は隠れた目的を持っていることが多い。
意見の他に目的がある理由
表明している意見とは別に目的があるのは、その目的を表に出せないからである。
例えば、その目的は、Bさんのように秘密の恋心かもしれない。
それ以外にも、「幹事を積極的にすることで部長に褒められたい」という野心や、「飲み会に出ないで早く帰ることで謎めいた人間に見られたい」という欲望や、他にも見栄だったりプライドだったりと、人に見せることが恥ずかしい感情が目的の場合にも表に出せない。
もしくは、本当に人には言えない目的のこともある。
実はこの会社は月が明けたら大型M&Aが発表されて、てんやわんやの大忙しになる。
飲み会を企画した部長の真の目的は、時間があるうちに一度集まってチームの結束を高めること。
しかし、一般社員はまだM&Aについて知らされていないので、部長は目的を話すことができず、ただの気まぐれ飲み会と受け取られている。
そして、一番多いのは、その目的を自分自身でも自覚していない場合だろう。
課長
■事実:部長がチームの結束を高めるための飲み会を企画した
■解釈:皆が集まって本音で話すいい機会だ
■意見:飲み会をきっかけに、皆の心を一つにしよう!
■本音:(かわいい女子社員と仲良くなりたいな)
■目的:(女子社員と交流を深めること)
さて、この飲み会。
セクハラを恐れるCさんが「やっぱり行きたくない」とぼやいているのを聞きつけた課長は怒った。
「この飲み会はチームが一つになるために必要なんだ!来るのは義務だ!!」
そう言いつつ、男性社員Eさんが「行きたくない」と言ったときは「そういう非協力的な奴は来なくていい」と切り捨てた。
「あれ、課長?チームが一つになるためには、全員出席したほうがいいんじゃないですか?」
と聞いても、課長自身、自分の下心に気づいていないので、自分の矛盾がわからない。
周囲も困惑するだけである。
目的が違う場合にできること
これまで見てきたように、その人の意見と行動が一致していないときは、目的が他にあると思ったほうがいい。
ただ、その目的は人に言えないことが多いので、ストレートに聞いても教えてくれないだろう。
目的を探りたいのであれば、いろいろな質問を重ねて、その人の言動をパターン分析すると、ある程度推測することができる。
しかし、なかなか大変だ。
それでも、言っていることとやっていることが一致しない人を見たときに、真の目的は違うところにあるのかもしれないと思うだけでも、こっちの気持ちはかなり楽になる。
時間を掛けて見ているうちに、自然とわかってくることもある。
誰かと意見が違っても
誰かと意見が違うことを恐れる人がいる。
自分の意見を否定されると、自分自身の存在が否定されたと感じる人もいる。
しかし、自分の意見は、自分の知識と経験と感情が反映された結果なので、誰かと意見がそっくり同じになる方が珍しいのだ。
誰かと意見が違っても、それは見ている事実が違うか、これまで培った知識や経験や感情が違うだけ。
誰かに意見を否定されても、それはその人と違う人生を送ってきた証拠なだけであり、自分自身が否定された訳ではない。
そもそも、誰かの意見を否定する方がおかしいのだ。
もし誰かの意見を聞いて、事実の把握が違っていると感じたら、お互いの事実を持ち寄ればいいだけである。
解釈が違うと感じたら、これまでの人生経験が違うだけなのだから、相手の人生に思いを馳せればいい。
相手に何かが足りないのではなく、何かが自分と違うだけであり、それは否定したり批難したりするようなことではない。
ただの会社の飲み会でさえ、部長・課長・Aさん・Bさん・Cさん・Dさん・Eさんと、皆考えていることはバラバラなのである。
もっと重大な事柄で、意見がバラバラになるのは当たり前である。
その意見の違いがどこから生まれたのかに思いを馳せ、自分が取り入れるべきところは取り入れるようにすると、人と意見が違うことを楽しめるようになり、自分の人生の幅も広がっていく。
あの会社の飲み会が、うまくいきますように。
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