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しずかみちこ
Gallup認定ストレングスコーチ
ストレングスファインダー(クリフトンストレングス)の専門家として、個人やチームが「強み」を活かして最大の成果を生み出すためのコーチングと研修をしています。

リクルートスタッフィングで経理したり、レアジョブの管理部門立ち上げたり、ブラック企業に入ったり、上司の横領見つけて辞めさせられたり、人の会社2つ作ったりと波乱万丈な職歴の後、独立して今に至ります。

投資と経理スキルでお金をデザインし、ストレングスファインダーで強みを活かしたら、人生が楽しくなりました。

趣味は野球観戦と美味しいものを食べること

収集心・最上志向・戦略性・未来志向・分析思考
ストレングスファインダーのnote
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大阪への転勤と出張三昧の日々

シリーズ「会社員の歩き方、私の場合」の過去記事リストは→こちら

前の記事はこちら→新卒1年目の交換日記

目次

大阪転勤

新卒2年目は、大阪で迎えることになった。
大阪支社の営業が退職するので、その補充だった。

本来は別の同期が転勤することが決まっていたのだが、当時悩みが多かった私は、人生の転機とばかりに「私が行きたい!」とアピールして、大阪転勤を奪い取ったのだ。
もっと言うと、当時福岡と青森で遠距離恋愛をしていた恋人の就職先が京都に決まったというのも、大阪に魅力を感じた理由の一つだ。(しかし、私が大阪に引っ越してすぐに別れた)
ちなみに、もともと転勤する予定の同僚は「福岡に彼女ができたばかりなので転勤したくない」と言っており、彼の許可を得た上でのアピールである。

※当時の葛藤はこちらの記事を参照→自分を知る人が一人もいない街で人生をやり直そうとした話
https://koto1.com/archives/3656

大阪支社の様子

大阪支社は、支社長、定年を過ぎ嘱託となった前支社長、事務員さん、私の4名体制だった。

そして、支社には支社長が住んでいた。

残業ばかりでいつも会社にいるような人を「会社に住んでいる」と言うことがあるが、そうではない。
文字通り、支社の一角に支社長が住んでいた。

大阪支社のオフィスはマンションの一室だった。
3LDKの部屋のLDK部分に机を3つ並べて、支社長、前支社長、私が座っていた。
扉を開けてLDKと一体化できる部屋が事務員さんの執務スペースだった。
一部屋はサンプルルームとして、刺身トレーのサンプルで埋まっていた。
残りのもう一部屋に、支社長が住んでいた。

一度、会社を退出した直後に忘れ物に気がついて引き返したことがある。
鍵が掛かっていたのでインターホンを鳴らしたところ、パンツ一丁の支社長が出てきた。
その後は忘れ物をしても、翌日まで諦めるようにした。

大阪支社の営業エリア

大阪支社の営業エリアは広かった。
3人でこのように分けた。

前支社長→大阪府
私→京都府、兵庫県(淡路島含む)、奈良県、和歌山県
支社長→愛知県、三重県、岐阜県、福井県、富山県、石川県

私が大阪に移った数カ月後に支社長が会社を辞めた。
支社長がいなくなったというのに、人員の補充はされなかった。
そこで、営業エリアはこうなった。

前支社長→大阪府
私→京都府、兵庫県(淡路島含む)、奈良県、和歌山県、愛知県、三重県、岐阜県、福井県、富山県、石川県

簡単に言うと、大阪以外の近畿地方と東海地方と北陸三県が営業エリアになったのだ。

出張三昧の日々

営業範囲が広いので、必然的に出張ばかりの生活となった。

毎週月曜日に大阪を出発し、土曜日に帰ってくる。
日曜日に一週間分の洗濯をし、その後は疲れて動けない。
月末月初だけは書類の処理で大阪にいる。

体力的にはきつかったが、旅行好きの私は楽しかった。
出張旅費が充分ではなかったので、高速道路のSAで眠ったりもしたが、それもまた楽しかった。
淡路島で玉ねぎ三昧のご飯を食べたり、能登半島で夕日を見たり。
明石海峡大橋も真っ先に渡った。

ただ、こんな生活だから、友人なんて出来るはずもない。

ワサビ屋さん

その頃の心のオアシスは、名古屋に本社があるワサビ屋さんだった。
刺身トレー屋とワサビ屋は、非常に相性がいい。
営業先は丸かぶりだが、ライバルではないからだ。
ワサビ屋の営業さんは裏表を気にすることなく自然体で会話ができる相手だった。

私は魚市場の営業先で、刺身の切れ端をよく貰っていた。
お客様の好意なのでありがたく受け取るが、実際は出張先で刺身の切れ端を貰っても困る。
ここでワサビ屋さんの出番だ。

私が持っているのは、刺身と、刺身トレーと、割り箸と、紙コップ。
ワサビ屋さんが持っているのは、ワサビと、醤油と、インスタントのお吸い物。
刺身トレーに刺身を乗せ、醤油とワサビをつけて、割り箸で食べる。
紙コップにインスタントのお吸い物を入れ、お湯は市場のお客さんに貰って、飲む。
(なお、全部サンプル品)
こうしてワサビ屋さんと市場の片隅で情報交換をすることが、営業トーク以外の会話ができる数少ないチャンスだった。

衰えるコミュニケーション能力

こんな生活を送っていたら、すっかり雑談が苦手になってしまった。
日常的に行う会話のほぼ全てが仕事の話だったので、それ以外の話がうまくできなくなってしまったのだ。
特に、目的もなくなんとなくダラダラと話をし続けることが出来なくなってしまった。

その後会社を辞めて、雑談スキルは随分取り戻したが、目的もなく話をすることは今でも苦手である。

私の社会人生活2年目は、こうやって過ぎていった。

次回に続く

次の記事は→典型的な「女の子」営業が、営業として機能していない自分を知った瞬間の話

シリーズ「会社員の歩き方、私の場合」の過去記事リストは→こちら

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