世界が荒れ狂う予感がする今こそ、知らなければいけない歴史〜『世界史の極意』佐藤優
学生時代、歴史には興味がないと日本史も世界史も勉強していなかった私だけれど、常に動き続ける世界情勢を見ていると、歴史を学ぶ重要性をひしひしと感じる。
人間が考えることなんて、どんなにテクノロジーが進化しても、大きく変化はしないからだ。
※なお、同じ理由で私は聖書が好きだ。
聖書は2000年以上前の人間ドラマが書かれている書物だと認識している。
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世界史の極意 佐藤優
「世界を知る」や「国際的な感覚」というときに、語学の習得に目がいきがちだが、それだけでは不十分だ。
人が持つ「常識」「当たり前」「正義」は、歴史の積み重ねで作られる。
(歴史には、宗教も戦争も含まれる)
歴史を知ることによって、今現在を知ることができると考えている。
歴史を多角的に知りたいと思ったときに出会ったのが、佐藤優氏の著書『世界史の極意』だ。
現在を知るために必要な過去の歴史の解説書である。
以下は、本の内容の解説ではなく、私が読んで考えたことである。
第1章 多極化する世界を読み解く極意
冷戦が終了し、当時は社会主義が敗北したかのように見えた。
だが、今、また社会主義の存在感が高まっている。
冷戦時、社会主義は「国家による支配」の代名詞だったのが、現在では社会主義が持つ「平等」という概念に憧れを抱く人が増えているのだ。
私は、社会主義によって享受される「平等」は、「支配」と表裏一体にあると感じるため、今の社会主義が注目を浴びる傾向に危機感を抱いている。
確かに、今の資本主義は行き過ぎている一面があるのだろう。
しかし過去の歴史を知らないまま、過去と同じことを繰り返すと、ソビエト連邦や文化大革命時の中国のようなことが起きてしまう。
社会を良くしていくためには、今現在の状況がどのように作られていたかを知ることが大切だ。
『世界史の極意』の第1章では、「帝国主義はいかにして生まれるのか」「資本主義の本質を歴史に探る」「イギリスの歴史教科書に帝国主義を学ぶ」といった切り口で、現在の社会状況がいかに作られたかが記載されている。
第2章 民族問題を読み解く極意
民族問題は、私にとってピンと来なかったものの1つだ。
普段、単一民族の中に暮らしていると思い込んでいるので、意識すらしてこなかったのだ。
先日ポーランドに旅行し、ポーランド・ユダヤ人歴史博物館に行ったときに、国と民族の違いについて、初めて感じることができた。
私の中では、日本に住む人=日本人=日本民族、という等式が成り立っていたのだが、これは日本の中の一部分しか見ていないための誤解だった。
世界では、その国に住む人=全員が同じ民族、ということはないのだ。
そして、日本も、いろいろなアイヌだったり琉球だったりと、異なる文化をルーツとする人たちの集まりだった。
そして『世界史の極意』の第2章を読み、「民族の誇り」について考えさせられた。
ポーランドのワルシャワゲットー博物館に行ったとき、私の戦争観が変わった。
戦争とは、空から焼夷弾が降ってくるだけではなく、自分たちの土地が他国の人によって踏み荒らされることだと知ったのだ。
日本でも、沖縄が踏み荒らされたのに、そこに思いが至っていなかった。
私は、沖縄の痛みを知らないことを知ったのだ。
そして、『世界史の極意』を読み、さらに考えさせられた。
私は、沖縄は日本の一部だと考えて、その土地が踏み荒らされたことに心を痛めたけれど、そうではない。
琉球の人たちにとってあの戦争は、他の民族が入ってきて、自分たちの文化や歴史など全てをめちゃくちゃに破壊し尽くしたものだったのだ。
沖縄を日本の端っこの土地だと考えているうちは、沖縄の痛みを想像することすらできない。
基地問題が解決しないのもわかる気がする。
抱えている痛みを知らないうちは、共通のスタートラインに立つことすらできないのだ。
現在を見ることも大切だが、まずは抱えている痛みを知ることから始めないと、いつまでたっても平行線だろう。
第2章を読み、こういったことを考えた。
第3章 宗教紛争を読み解く極意
宗教とは、善悪の基準である。
理屈や効率を超えて、善悪の基準を提示するものだ。
私は特定の宗教を持たない。
小中高とカトリックの学校に通ったので、カトリックの教えについて触れる機会は多かったが、一神教より八百万神の方がしっくりと来るくらいなので、そこまで染まっていないとは思う。
だが、世界には、宗教を重んじる人が多くいる。
そういう人たちには「合理性」といったものは通じない。
私は『世界史の極意』の下記の文を読み、震え上がった。
十二イマーム派とはこういうものです。
11人目のイマームが9世紀末に亡くなった時、12人目のイマームが登場しましたが、すぐにお隠れになってしまった。この隠れイマームが救世主として現れて、この世を救うという教義を持っています。イランが核兵器を持ったとしても、イスラエルがそれを上回る圧倒的に多くの核兵器を所持している。
そこで合理的に考えれば、イランが核を使わないと考えたくなるでしょう。
ところが、イスラエルが核で攻撃しても、イランを守ってくれるに違いない。
イランの支配者層がそう信じているとすると、イランが暴走する可能性もあるわけです。
冷戦以降、「核の抑止力」が平和の柱になっている。
今、中国がそれを脅かしているが、今のところは駆け引きの道具とされるレベルだ。
しかし、核兵器でさえ「神がなんとかしてくれる」と思う人たちがこの世にいるとしたら、「核の抑止力」なんて全く当てにならない。
合理性をベースに考えると間違ったことであっても、「神がなんとかしてくれるから」「神がやれと言ったから」で間違いが正義に変わるのだ。
相手の宗教を知らないまま、合理性だけで進むのは怖い。
第3章では、そのことを教えてくれた。
感想
上記も感想ではあるのだが、あらためて。
この本は、私には難しかった。
正直なところ、3分の1も理解できていないかもしれない。
それでも多くの気づきがあり、これだけのことを考えさせられた。
歴史があって、今がある。
人間はそう簡単には変わらない。
世界が荒れ狂いそうな予感がする今こそ、歴史をきちんと知る必要があると感じている。
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