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ワルシャワ蜂起博物館で考えさせられた多くのこと。自分の住む街が戦いの舞台になることとは

ワルシャワ旧市街


ワルシャワで一番感じたことは、私には知らないことが多すぎる、ということだった。
不勉強、と言われてしまえば、まさにその通りなのだが、実際にこの街に訪れたからこそ理解できたことも多くある。

このことを一番強く感じたのが、ここ、ワルシャワ蜂起博物館だった。

ポーランドとワルシャワの歴史

ポーランドという国が建国されたのは10世紀のこと。
その後、幾度も他国に攻め入られ解体させられている。
これは古い昔の話ではなく、20世紀にも起きたことだ。

20世紀当初、ポーランドは存在しなかった。
1795年にロシア、プロイセン、オーストリアの三国で分割されて以降、戦争によって各国の支配領域に変更はあれど、ポーランドが国家として認められることはなかったのだ。

ポーランドが国家として独立を果たすのは、123年後のことである。
1918年11月、第一次世界大戦終結後、ヴェルサイユ条約により独立を果たしたのだ。

しかし、このときも短命だった。
1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻した。
第二次世界大戦の始まりである。
16日後の9月17日、ソ連軍もポーランドに侵攻した。

1939年9月、ポーランドはドイツとソビエト連邦によって分割され、またもや消滅した。

ワルシャワ蜂起とは

ワルシャワ蜂起博物館の主題であるワルシャワ蜂起は、この第二次世界大戦中の出来事である。

ワルシャワ蜂起が起きたのは、1944年。
その前年の1943年には、ドイツ軍はワルシャワにいるユダヤ人を皆殺しにしている。(ワルシャワ・ゲットー蜂起

ワルシャワ蜂起について、ざっくりとまとめる。

当時、ドイツ軍とソ連軍は旧ポーランド領土上で激しい闘争を繰り広げていた。
1944年7月下旬、ソ連軍はワルシャワにいるレジスタンス団体に呼びかけた。
「我々は、今ドイツ軍を追い詰めて、ワルシャワの近くにいる。我々と一緒にドイツ軍と戦おう」

ワルシャワ市民を始めとする5万人ほどの人々がポーランド国内軍として戦争に参加することが決まった。
戦闘開始は8月1日と決まった。

7月29日、モスクワ放送から、ワルシャワ市民に向かって戦闘を呼びかけるラジオ放送が流れた。

7月31日、ソ連軍はドイツ軍の反撃で甚大な被害を受け、これ以上闘争を続けられない状態になった。
しかし、ソ連軍はそのことをポーランド側に伝えなかった。

8月1日17時、ポーランド国内軍が戦闘を開始する。

ソ連軍は黙って見ていた。

他国がポーランド国内軍の支援をしようとしたが、ソ連はそれを拒否し妨害した。

ワルシャワの市街地は、ほぼすべての建物が破壊された。
この蜂起で死亡したワルシャワ市民は、18万人とも25万人とも言われている。

10月2日、ポーランド国内軍はドイツ軍に降伏した。

翌年、1945年1月、ソ連軍は廃墟となったワルシャワに攻め入り、占領した。
わずかに生き残っていたポーランド国内軍の幹部を逮捕した。
 

ワルシャワ蜂起に対して、ドイツ軍は残虐に対応した。
ワルシャワ蜂起自体が、ソ連軍の陰謀だったという説もある。

ワルシャワ蜂起博物館

ワルシャワ蜂起博物館は、ワルシャワ蜂起から60年後の2004年にオープンした博物館である。

戦後、ポーランドは共産主義国として独立し、ソ連の衛星国であったため、ワルシャワ蜂起について語ることは憚られる状態だった。
1989年の民主化を経て、ようやくワルシャワ市民があらためてワルシャワ蜂起について振り返ることができるようになったのだ。

ワルシャワ蜂起博物館の展示物

ワルシャワ蜂起博物館には、ワルシャワ蜂起に関するあらゆるものが収められている。

ゲシュタポが乗っていたサイドカー付きバイク、装甲車や飛行機のレプリカ。
当時のポスター、手紙、子供達のおもちゃ。

使用していた武器。着用していた戦闘服。
いずれも、ポーランド国内軍がドイツ兵を殺して奪い取ったものだ。

ドイツ兵から奪い取った戦闘服なので、敵と同じ服である。
敵味方の区別をつけるために、ポーランド国内軍は、かつてのポーランド国旗を模した赤と白の腕章を着けた。
もちろんその腕章も展示されている。

入場券。写真はポーランド国内軍の目印である腕章

 

館内にはたくさんの写真もある。

そして、当時の映像も多くある。
井戸のようなところを覗き込んだら、井戸の中ではドイツ軍がワルシャワ市民を虐殺する映像が何種類も流れていた。
小さな子供が見られないように配慮してあるのだが、大人も直視はできないだろう。

ワルシャワ旧市街

ワルシャワに着いた初日に旧市街を訪れていた。

ワルシャワ旧市街

ワルシャワ旧市街

 

この旧市街は、ワルシャワ蜂起でドイツ軍に粉々に砕かれてしまったものを再建したところである。
当時の写真を参考に、建物のひび割れまでも復元したそうだ。

ワルシャワ旧市街

ワルシャワ旧市街

 

ワルシャワ蜂起後の1945年に上空から旧市街を撮影した空撮映像が残っていて、ワルシャワ蜂起博物館では3D映画として見ることができる。

数分間の映像だが、徹底的に破壊された街の残骸を見て言葉を失った。
そして、あの粉々の街をここまで復元したワルシャワ市民の思いの強さをひしひしと感じた。

ワルシャワ旧市街

ワルシャワ旧市街

感想

とてもとても考えさせられる場所だった。

ワルシャワ蜂起博物館について

3時間近く滞在したのだが、見ることができたのは全体の半分強。
あまりに内容が濃く、重く、受け止めきれず、それ以上見続けることができなくなってしまった。
事前の知識が不足していたこともあり、理解にパワーが必要だったのもある。

共産主義時代、公に語ることが難しかったワルシャワ蜂起について、ずっと抑えつけていたワルシャワ市民の感情が爆発したかのような独特なエネルギーのある場所だった。
展示物の一部は、第二次世界大戦を紹介する雑誌等で見たことがあるかもしれないが、この場所であらためて見ることに意味がある。
このワルシャワ市民のエネルギーを感じることも、この博物館を訪ねる理由になるだろう。

博物館を出た後に感じたこと

ワルシャワ蜂起博物館で過ごした時間は、自分の無知さを自覚する時間でもあった。
歴史を知らないのもそうなのだが、戦争についても知らなかったのだ。

宮城県出身の私にとって、戦争とは空から爆弾が降ってくるものだった。
空襲で街が壊されたという知識でしかない。

戦いとは、どこか他の「戦う場所」に行って行うものという認識だった。
その「戦う場所」に住んでいる人について思いを馳せたことが、恥ずかしながらこれまで無かった。

自分の街が他国に奪われて違う国になってしまうことも、自分の住む街に敵軍が攻めてきて殺し合うこと…殺されるだけではない、殺しもするのだ…も、私の頭の中の辞書の「戦争」の項目には書かれていないことだった。

なんて世間知らずだったのだろう。

ワルシャワ蜂起博物館では、多くの展示物の他に、音や展示方法でも当時を感じられるようになっている。
身体でワルシャワ蜂起を感じつつ、沖縄のことを考えていた。

私は、沖縄の痛みを知らない。
そうも思った。

ワルシャワ蜂起博物館の情報

ワルシャワ蜂起博物館
Muzeum Powstania Warszawskiego
ul. Grzybowska 79, Warsaw 00-844, Poland

館内はとても広い。
そして作りが複雑で、順路が分かりづらいので、館内マップは必ず貰ったほうがいい。

館内の展示はポーランド語と英語。
日本語のオーディオガイドがあり、借りたほうがより理解できる。(10PLN≒280円。)

他の人の口コミや詳細情報はトリップアドバイザーが詳しい。→トリップアドバイザーのリンクはこちら

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