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私がブラック企業を辞められなかった理由と私を救った友人の言葉


「死ぬくらいなら辞めればいいのに」というコメントを、ブラック企業で自殺という痛ましい記事が出るたびに見かける。
私もかつてはそう思っていた。

でも、自分がそこまで追いつめられたときに「死なないと辞められない」と思った。
そして「死ぬくらいなら辞めればいいのに」という言葉を聞いたとき、誰かが簡単に言うことすらできない私はダメな人間だと、自分を更に追い詰めた。

あのときの私の精神状態はかなり異常だった。
だけど、自分では全く気づいていなかった。
そのときの心境を書こうと思う。
 

なぜ死ぬまで働いてしまうのか

ブラック企業を辞めようかどうか悩んでいると、いろいろな声が聞こえる。

それは実際に周囲の人にかけられた声かもしれない。
自分の中にある罪悪感が生み出した声かもしれない。

追い詰められているから、それすら区別がつかなくなるほど判断力が落ちているのだが、自分ではそのことにも気づけなかった。

私の頭の中には、こういう声が響いていた

「代わりがいないうちに辞めるのは最低だ」

社内でその仕事をやっていたのは私一人だったので、抜けたら大変なことになるだろうと思っていた。
どんなに怒られても、時々「この仕事ができるのは、しずかさんだけだよ。頼りにしているよ。」などと言われて真に受けていた。
頼りにされているのなら、期待に応えなければと思っていた。
今なら、怒鳴った後に甘いことを言うことで私の心を操ろうとしているだけと分かっているが、あのときは信じてしまった。

そして家族に対しての責任も感じていた。
ほんの僅かながらも給与は出ていたので、それがゼロになることに申し訳なさがあった。
夫はずっと「そんな会社は早く辞めろ」と言ってくれていたのだが、それでも踏ん切れなかった。

今思うと、なんでそんなことを考えていたのだろうと思う。
代わりがいない仕事なんてないのに。

もし突然失踪した時、自分がしていた仕事が本当に必要な仕事なら、代わりがいなくても、最終的には誰かがやる。
誰かに代わりをさせるのが申し訳ない?
もし、その誰かがその仕事をやることを辛いと言うなら、その人に「逃げろ」と言えばいい。

その仕事を、社長が「やれ!」と言っていて、誰もがその仕事をする余裕がないなら、社長がやればいいのだ。
誰もがその仕事をする余裕がないのなら、どうすれば出来るようになるのかを会社のトップが考えて現実的な形に落とし込むのが、会社の当たり前の姿だ。
それをせずに、怒鳴ることや脅すことで社員を動かそうとするから、ブラック企業なのだ。

怒鳴りや脅しに屈服する必要もなければ、怒鳴りや脅しに対抗するのが苦手ならば対抗する必要もない。
そこから逃げて構わないのだ。

もし、自分がしていた仕事が、技術的に他の社員に不可能な場合はどうなるだろうか。
その仕事が本当に必要なら、違うやり方で、同じ目的を達成しようとするだろう。
もしくは、実は、もうその技術に頼らなくても、業務が回る状況かもしれない。

人は、そこにあるものに頼る。
それが無くなれば、無くなったなりに工夫するのが人間だ。
だから、自分の仕事が唯一無二のものだったとしても、気にせずに逃げて問題ない。

「辞めるなら、せめて最低限の仕事をしてからでないと」

最低限の仕事をしないといけないと思い込んでいたが、「最低限の仕事」とは何だろう?
だいたい、死にたくなるまで追いつめられる人は、「最低限の仕事」のハードルを高いところに設定している。
そこまで無理をしなくていいのだ。

「最低限の仕事をしてから辞めるべき」と人から言われることもある。
そう言うなら、最低限の仕事とは何なのか、何をすれば辞めていいのかを、具体的に言えばいいのだ。
そうすれば、「わかりました。それまで頑張るので、それができたら辞めさせてください」なのか「それは無理なので、私はこの会社にいるにはふさわしくないようです。辞めさせてください」なのか、そういった具体的な話し合いができるようになる。

「最低限の仕事をしてから〜」といった言い方をする人は、具体的な話し合いになることを避けているだけだ。
こういう責任感のない発言は無視して良かったのだ。

「秩序を乱すな」

会社を辞めようとすると、「世の中の秩序がどうこう」と言い出す人もいる。
気にしなくていい。
秩序=正、混乱=悪という考え方自体が、秩序によって人を支配したい人の理論である。

秩序というものは、多かれ少なかれ、右と言われたら右を見て、上と言われたら上を見ることを求めるものだ。
人が一人一人自立した世界を目指すと、秩序から離れていく。

世の中は変わった。
盲目的に社長の言う通りにしていれば、会社がうまく行く時代ではない。
「終身雇用」という言葉も過去のものになりつつある。
会社員であっても、会社に依存するのではなく、ある程度自立することが求められているのだ。

こういう世の中にあって、自分を押し殺してまで無理に秩序を保つ必要はない。
秩序とは、ある程度の快適さを保ちながら生活するための知恵である。
ある程度の快適さすら得られないまま、苦痛を飲み込んでまで無理に秩序を保つ必要はない。

ただ、やけになって秩序を破壊したくなったとしても、その秩序を快く思っている人がいるうちは、反乱を起こすのではなく、そっと距離を置く方が自分の身のためになる。

・もっと頑張れば事態が良くなるはずだ

当時、自分の落ち度を責められまくり、心が殺されかけていた私は、私の頑張りが足りないから怒られるのだと思っていた。
頑張って、頑張って頑張って、全てを完璧にこなせば、怒られなくなると思っていた。

実際は、どんなに完璧にこなしても、重箱の隅をつついて怒られた。
もしくは全く無関係のことで怒られた。
まだ足りないのか、もっと頑張らなくてはいけないのか、とますます追い詰められた。

・情があった

同僚はいい人たちだった。
皆、怒鳴られまくり、ひどい目にあっていたが、それでも会社に来て頑張っていた。
こんないい人たちが頑張っているのに、自分だけ先に辞めるなんてできないと思っていた。

なぜ助けを求められなかったか

「死ぬ前に誰かに助けを求めればいいのに」というのも、よくあるコメントだ。
しかし私は、誰かに助けを求めることができなかった。
それはこういう理由からだった。

・友人に会うことが辛かった

転職したての心が元気なときは、プライドが邪魔をして友人に会えなかった。
意気揚々と転職をしたのに、入社1週間で怒鳴られまくってへこたれている自分が恥ずかしかった。
「仕事どう?」と聞かれたくなかったし、友人達が楽しそうに仕事をしている話を聞くのも辛かった。

心が殺されかけて、プライドなんてどうでも良くなったときには、どん底の自己評価が友人に会うのを躊躇わせた。
当時は、何をしても楽しくないし、心の底から笑うこともできなくなっていた。
こんな暗い表情をした私と会っても楽しくないだろうという思いがあって、友人に会うのを避けていた。

・自分だけ弱音を吐いてはいけないと思った

例えば「毎月残業が100時間ある」といったら「俺なんか150時間やっている」という人が必ずいるように、「今これだけ怒鳴られて辛い」といっても「いやいや私はこんな理不尽な怒鳴られ方をしたことがある」といったブラック度の競い合いというのが起こりがちである。
心が元気なときはそれも楽しいが、心が弱っているときには「あなたはまだまだ我慢が足りない」と言われているように聞こえるのである。

他の人達はこんなにも頑張っているのだから、私なんかが愚痴を言ってはいけない。
そう思いこんでしまって、「辛そうだけど、何かあった?」と聞かれても、適当なことを言ってごまかしていた。

・これ以上否定されるのが恐かった

上司から散々否定されまくられている話を誰かにしたときに、その人にまで「上司の言う通り、お前の努力が足りないんだよ」と言われてしまったら、二度と立ち直れないことに気づいていた。
私の努力が足りないのなんて知ってる、でももうこれ以上頑張れない。
そういう思いのときに、「もっと頑張れ」と言われることが恐かった。
だから誰にも何も話せなくなった。

死を選ぶ時

ここまでを読んで、心の元気な人は「なんでそんなこと気にするの?!」と思うだろう。
でも、心が殺されかけると、こういったことでどんどん自分を追い詰めていく。
心が死にかかっていると、自己評価も判断力も低くなり、視野が狭くなるのだ。

私は今は元気に暮らしているが、いっときは会社のオフィスの窓から飛び降りたいくらい追い詰められた時があった。

何度も会社を辞めようとはした

会社を辞めようと、何度も試みた。
その度に恫喝されたり、責任感がないと責められたり、共通の知り合いを指してその人の顔を汚すのかと言われたり、猫なで声を出されたり、家族のことを罵られたり、簡単に言うと相手のペースに巻き込まれて辞めることができなかった。

鎖に繋がれた象の話を知っているだろうか。
まず、捕まえてきた子象の足を鎖で繋ぐ。
鎖につながれた象は逃げ出そうと必死になって暴れるが、鎖と杭は頑丈で逃げ出せない。
それを一定期間繰り返すと、子象は観念して逃げることを諦める。
そうなれば、頑丈な鎖と杭は必要なくなり、細い鎖でも逃げ出すような行動はとらなくなる。

当時の私はこの象だった。
逃げ出そうと暴れる度に悪くなる環境。
常にどこかで響く怒声。
追い詰められて死んでゆく心。
私はすっかり疲れ果て、判断能力も低下し、逃げ出す気力を失っていた。

そのときの心境

ほんのちょっとしたことに希望を見出し、それにすがっている状態だった。
これさえ完璧にやれば、状況が良くなるかもしれない。
あの注文がとれたら、状況が良くなるかもしれない。
そしてその度に、希望は打ち砕かれていった。

何度希望を打ち砕かれても、まだ他の希望にすがることができていた。
私が悪いのだから、私が変われば状況が変わると思っていたのだ。
でも、もしかしたら、自分を変えることに挫折し全ての希望を使い果たして絶望しきってしまったら、私も死に向かってまっしぐらに進んでいただろう。

私を救ってくれた言葉

心も身体も疲れ果て、視野がすっかり狭くなっていた私の目を覚ましてくれたのは、長い付き合いの先輩たちと友人だった。

目を覚まさせてくれた先輩たち

社長に、法律違反になる作業を命令され、法律に違反せずに命令に応えるにはどうすればいいか悩んでいた。
ちょうどかつて同じ職場だった先輩達に会う機会があったので、命令に答える方法を相談したのが最初だった。

先輩達は驚き、「何が起きているんだ?」と聞いた。
私が会社の状況をかいつまんで説明すると、みんな大爆笑し、そして言った。
「お前がいる会社、ありえないくらい狂っているよ。ありえなすぎて、そこらのドラマより面白いって。」
「法律違反と分かっていて命令に応えようとするなんて、お前の頭もその会社に毒されている。早く逃げろ。」

私も自分がひどい状況にいるとは思っていたが、そこまで爆笑されるほどとは思っていなかった。
そして、自分がその会社に毒されているとも思っていなかった。

会社を何度も辞めようとしたけれど辞められないと話したら「もうそんな会社には明日から行かなくていいよ。」と言われて、とても驚いた。
何しろ先輩は、私がかつていた会社で人事部長をしていて、一緒にいた他の先輩も人事部と法務部で働いている。
人事や法務の人たちに「会社に行かなくていい」と言われるとは思っていなかった。

背中を押してくれた友人

その直後、古くからの友人にもこの話をし、「逃げろと先輩は言うけれど、今やっている仕事は私一人しかできないから逃げられない」と言った。
そのときはまだ会社から逃げるのは不可能と思っていた。

しかし、友人は言った。
「人間として扱ってもらってないのだから、人間としての責任を果たす必要はないよ。」

この言葉が決め手となって、私は会社から逃げ出すことを決意した。

何が救いだったのか

先輩や友人が、「何で早く辞めないの?」と聞いてきたら、私は自分の行動力のなさを責められていると思って、殻に閉じこもっていただろう。
私のいる環境を、それは変だと笑い飛ばしてくれて、私が悪いのではなく、その環境に毒されておかしくなっている、と言ってくれたことが、とても救いになった。

そして責任を果たせなくて落ち込む私に、そんな責任は果たす必要がないと言ってくれたことも大きかった。
自分に対する自信を少し取り戻すことができた。
この自信が私の心を生き返らせて、逃げるための力を振り絞ることができたのだ。

そのときに読んだ本

先輩たちと会った直後にたまたま読んだ本も、逃げようという決意を後押ししてくれた。
ヤクザについて書かれた本であるが、この本に出てくるヤクザの言動が社長の言動と全く同じだったのだ。
今、ブラック企業にいて苦しんでいる人には、これを読んで、相手の行動パターンを学んで欲しい。
ブラック企業で行われていることについて知りたい方にも、読んで欲しい本である。

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