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しずかみちこ
Gallup認定ストレングスコーチ
ストレングスファインダー(クリフトンストレングス)の専門家として、個人やチームが「強み」を活かして最大の成果を生み出すためのコーチングと研修をしています。

リクルートスタッフィングで経理したり、レアジョブの管理部門立ち上げたり、ブラック企業に入ったり、上司の横領見つけて辞めさせられたり、人の会社2つ作ったりと波乱万丈な職歴の後、独立して今に至ります。

投資と経理スキルでお金をデザインし、ストレングスファインダーで強みを活かしたら、人生が楽しくなりました。

趣味は野球観戦と美味しいものを食べること

収集心・最上志向・戦略性・未来志向・分析思考
ストレングスファインダーのnote
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税理士試験に科目合格したのに、税理士になることに挫折した理由

シリーズ「会社員の歩き方、私の場合」の過去記事リストは→こちら

前の記事はこちら→税理士試験、消費税に挑む。消費税ってどんな税金?そして引っ掛け問題。

目次

税理士試験、出だしは順調だったけど

税理士の予備校に通うのは、お金が掛かる。
9月開講の一般コースだと、ボリュームの大きい簿記論、財務諸表論、法人税、所得税あたりで1科目20万円前後。
ボリューム少なめの消費税でも10万円は超える。

それなので、私は授業数が少なく価格が安い速習コースに通ったわけだが、それでも10万円近くした。

簿記3級に受かって舞い上がって、何も知らないまま勢いで申し込んでしまったのだが、さすがに1年経つと、状況も見えて冷静になってくる。

当時のお金事情

新卒一社目の会社を辞めた私は、大阪で一人暮らしを継続していた。
当時のお金事情を明かしてみる。

生活費

当時はアルバイトと派遣の仕事を3つ掛け持ちして、生活を賄っていた。

・週末だけの試飲販売
・早朝だけのウェイトレス
・短時間のコールセンター(これのみ派遣)

試飲販売は、時給1000円で1日8〜10時間勤務。
ウェイトレスも、確か早朝は時給1000円くらい。
派遣のコールセンターは、時給が1500円くらいあったはず。

毎日朝7時〜10時までウェイトレスとして働き、税理士の授業がある日は学校へ行き、ない日は3時間ほどコールセンターの仕事をする。
試飲販売は、条件の合うときだけ、月2日ほど入る。
3つ合わせると、だいたい手取りで10万円ほど入ってくる。

家賃は3万8千円。
空いた時間はほぼ全て勉強に費やしていたので、他に使うのは水道光熱費と食費くらいだ。
とはいえ、水道光熱費は、テレビもパソコンもクーラーも持っていなかったため、そこまで掛かっていなかった。
健康的で文化的な生活と言えるかは分からないが、食べていくことは出来ていた。

授業料

こんなギリギリの生活の中、どうやって授業料を捻出したのか。
会社員時代の貯蓄の他に、大きな救いがあった。
保険金である。

話は遡るが、私は、カナダから戻ってきた後、交通事故に合っている。
実家に帰省中だった。
両親を乗せて車で走行中、大音量で音楽を掛けている車が迫ってきて、横から体当りされたのだ。
(相手は10代で、免許をとって半年の間に人身事故を2回も起こしているツワモノだった)

後部座席の母は全身を強くうち、助手席の父に至っては3ヶ月以上入院することとなった、かなり大きい事故だった。
車は廃車となった。

運転手の私はむち打ちだけで済んだが、それでも慰謝料としていくらか保険金が入ってきた。
それがほぼそのまま、税理士予備校の消費税講座の受講料となったのである。

そして、決断する

税理士受験生一年目をこのように乗り切った私は、二年目について考え込んでいた。

決断のきっかけ

毎月の給与から、月1〜2万円は貯金をしていた。
それと会社員時代の貯金を合わせると、2年目の授業料を払うことは出来そうだった。
ただ、その先、3年目、4年目となるとやっていけるのだろうか?

そのとき、母から届いた手紙が、私が結論を出すきっかけとなった。

そこにはこう書いてあった。
「お父さんが退院して1年経つので、病院代が保険で下りなくなりました」

このとき、両親は50歳代前半だったが、定期的な収入はなかった。
私から両親に仕送りをすることはなく、両親が私に生活費の援助をすることもなく、お互い完全に別会計で暮らしていたが、その手紙には今後のお金の不安がにじみ出ていた。

もしものときは、私が援助したほうがいいんだろうな…。
そのためにも、定期収入があったほうがいいんだろうな…。

安定した定期収入といえば…。

………税理士は諦めて、正社員に戻ろう。

仕事以外の時間を全て勉強に費やしても、試験にかろうじて引っかかったレベルの私が、正社員と試験勉強を両立できるとは思わなかった。

残高わずかの預金通帳と、母からの手紙を握りしめ、私は税理士を諦めることにした。

決断の本音

決断のきっかけはお金の問題だったが、決意の理由は別のところにあることに本当は気づいていた。

仕事をいくつも掛け持ちし、お金を必死に切り詰め、そして空いた時間を全て勉強に費やす生活に疲れていたのだ。
友達とバカ騒ぎをしたかった。
野球も見に行きたかった。
本や雑誌も読みたかった。

8ヶ月、必死に勉強して、なんとか1科目合格することが出来た。
でも、同じことをあと4科目分するのかと思うと、気持ちが乗らなかったのだ。

1年で2科目勉強したとしても、あと2年。
そこまで頑張っても、試験に落ちるかもしれない。
試験に受かるまで、延々とこの生活が繰り返される。。。

私は、先の見えないプレッシャーに耐えることができなかったのだ。

次回に続く

次の記事は→創業者の思いは社員には伝わらないことに気がついた話

シリーズ「会社員の歩き方、私の場合」の過去記事リストは→こちら

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