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しずかみちこ
Gallup認定ストレングスコーチ
ストレングスファインダー(クリフトンストレングス)の専門家として、個人やチームが「強み」を活かして最大の成果を生み出すためのコーチングと研修をしています。

リクルートスタッフィングで経理したり、レアジョブの管理部門立ち上げたり、ブラック企業に入ったり、上司の横領見つけて辞めさせられたり、人の会社2つ作ったりと波乱万丈な職歴の後、独立して今に至ります。

投資と経理スキルでお金をデザインし、ストレングスファインダーで強みを活かしたら、人生が楽しくなりました。

趣味は野球観戦と美味しいものを食べること

収集心・最上志向・戦略性・未来志向・分析思考
ストレングスファインダーのnote
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家族関係から問題を探り出す~大塚あやこさんのビリーフリセットカウンセリング後編

前編はこちら

目次

問題の源を探しに

あやさんが私の感情を導き出してくれたおかげで、自分ではどうにもできない思考の癖である「誰かに私を選んでもらうのが怖い」という思いは、「誰かの期待に応えられない自分には価値が無い」という気持ちの現れだったことが分かった。
幼い頃から期待に応えようと頑張って頑張って頑張ってきたけどもうこれ以上は無理!という心の叫びが、誰かが私を選ぶことへの本能的な恐怖心と繋がっていたのだ。

ビリーフリセットのワークを受けると、「期待に応えられない自分には価値が無い」という思いが単なる思い込みであることに気づくことができる。
しかし私は、この思いを抱くに至った根本的な原因を知りたかった。

だから、あやさんに「このままビリーフリセットする?それとも、家族の関係からこの問題を見てみる?」と質問されたとき、家族の関係を見るワークをお願いしたのだった。

家族の関係を見るワーク

私の家族の物語の登場人物は4人いる。
父、母、母方の祖母、そして私。

あやさんは4人の登場人物のために、椅子を4つ出してきた。
そして、自由に椅子を置くように言った。

私は悩みつつ椅子を置いた。
父親の椅子を、全体が見渡せるところに。
母親の椅子は、父親の椅子の正面から少し外れたところに。
祖母の椅子は、母親の椅子の少し後ろに、背を向けて。
私の椅子は、部屋の片隅の、ひっそりと全体が見渡せるところに。

この椅子の位置に正解は無い。
つまり、椅子をどこに置くかを頭で考えても、全くわからない。
頼りにできるのは「なんとなく」という感覚だけだ。
父親はどこにいるのがふさわしいかを心に聞いて、「なんとなく」そう感じる位置に椅子を置く。
母親も、祖母も、私も、どこにいるのがふさわしいかを心に聞いて、その感覚に従う。

私の椅子

まず最初に、私は「私」を表す椅子に座った。

父も母も遠くにいる。
私のことはそこまで目に入っていないようだ。
淋しい。

「私を見て!」
本当はそう叫びたいけれど、どんなに叫んでも願いが届かないような気がして、声が出てこない。
代わりに涙がどんどん出てくる。
それでもここで諦めたら何も変わらないから、必死の思いで声を絞り出す。
 

あやさんが「お父さんに言うことない?」と囁いた。
ひとつ、ある。
どうしても聞きたくて、でも聞けなかったこと。

顔を上げて、父親を表す椅子を見る。
それは、ただの空の椅子だ。パイプ椅子だ。
でもどうしても話しかけることができない。
怖いのだ。

隣に座るあやさんに、あの椅子に聞こえないように小声で訴える。
「あれ、ただの椅子だって分かってるんですけど、怖くて話しかけられません」
あやさんは、分かっているから大丈夫という笑顔を見せ、声を掛けるように背中を押してくれる。

やっとの思いで、声を出せた。
かすれた声が、かろうじて、「どうして帰ってきてくれないの?」という音を紡ぐ。
 

父はほとんど家にいない人だった。
毎晩毎晩酒を飲み、帰りがとても遅かった。
いや、でも、これはそこまで問題ではない。
どんなに帰りが遅くても、最後には帰ってくるのだからそれでいいと、子供ながらに考えていた。

普段遅いのは構わない。
しかし、年に一度、どうしても帰ってきてほしい日があったのだ。
もう一度、必死の思いで声を絞り出す。
「私の誕生日くらい、帰ってきてくれてもいいじゃない…」
 

自分の誕生日は怖かった。
毎年、母は私の誕生日にはご馳走を作ってくれた。
誕生日の朝、母は父に「今日は娘の誕生日だから早く帰ってきて」と声を掛ける。
父は「わかった」と言って出掛けて行く。
夜になり、食卓にはご馳走が並ぶ。
母は言う。「お父さんが帰ってきたら食べましょう」

しかし、父が約束通りに早く帰ってきたことはなかった。
目の前のご馳走がどんどん冷めていく。
母親の怒りが発する熱はどんどん高くなっていく
空腹は耐え難いものになっていくが、お腹が空いたと言おうものなら、母が父への恨み言をまくしたてると分かっているので無言で耐える。

この時間が辛かった。
何時に帰ってくるか分かっているなら、まだ待てる。
先が見えないまま、空腹を抱え、怒る母をなだめつつ耐える、あの時間は永遠に続くように感じられた。
自分の誕生日に、どうしてこんな惨めな思いをしないといけないのか、辛くてたまらなかった。

この経験によっぽど懲りて、いまでも自分の誕生日に予定を入れることに恐怖がある。
誕生日に待ち合わせした相手が遅刻でもしたら耐え難い。
だから毎年自分の誕生日は野球を見に行く。野球なら裏切らない。

…話がそれた。
年に一度の私の誕生日くらい、早く帰ってきてくれたっていいじゃない。
そう空の椅子に必死の思いで話し掛けたが、一番言いたいことは他にあることに気が付いた。
それだけで、溢れる涙が止まらない。

心の中の小さな私が、ずっとずっと聞きたかったこと。
40年以上、胸の中に抱え続けた一つの質問。

「お父さん、わたしのこと、どう思っているの?」

答えを聞くのが怖くて封じ込めていた質問にたどり着いた。

母の椅子

いったん「私」の椅子を立ち、「母」の椅子に移る。
母になったつもりで「母」の椅子に座り、部屋に置かれた他の椅子を見る。
母に思いを馳せる。

母は、本を愛する人だった。
もしかしたら、自分でも文章を書きたかったのではないだろうか。
実際に、母が文章を書きためていたノートを見たことがある。

そう思うと、母が小さい私を疎ましく思った理由も分かる。
私の脳裏には、息子の太郎を柱に縛り付けてまで執筆にいそしんだ岡本かの子のことが浮かんでいた。
私の母にも、集中してやりたいことがあったのだろう。

もしかしたら、母は、母のドラマの主人公であり続けたかったのではないだろうか。
ドラマの主人公として生きるには、波乱が必要だ。
私は、ただ、その波乱に巻き込まれていただけではないだろうか。

母に怒りや悲しみを感じさせないために、幼い私は母の期待に応えるよう一生懸命頑張っていたが、母自身が怒りや悲しみのある生活を望んでいたのかもしれない。
そうだとしたら、いつまでも父の帰りを待ってご飯を食べずに待っていたあの時間も説明がつく。
先に食べたっていいものを、「夫が帰ってこない」という悲劇のヒロインを演じるために、ずっと食べずに待っていたのかもしれない。

全ては、母の望んだドラマだったとしたら!
「母」の椅子の上で、そういう思いに至って、笑いだしてしまった。

祖母の椅子

正直なところ、祖母と私はほとんど交流が無い。
母と祖母があまりにも断絶状態にあるため、登場を願った。

「祖母」の椅子に座って、よく知らない祖母を思う。
祖母は、女らしい人だったと思う。
そして、周囲の人間は自分を助けて当たり前だと思っているふしがあった。

自立心旺盛の母が、依存心旺盛の祖母を見てイライラするのは当たり前の気がする。
そして、祖母にとっても母は、自分の娘であれ、いや自分の娘だからこそ、理解不能な存在だっただろう。

父の椅子

「父」の椅子に座る。
あやさんが隣に来て、父になっている私に質問する。
「どうして毎日帰りが遅かったのですか?」

不思議なことに、自然と答えが浮かび上がってくる。
「男たるもの、やるべきことがいろいろある」

さらにあやさんは訊く。
「どうして娘さんの誕生日も帰りが遅かったのですか?」
やはり、自然に答えが出てくる。
「男たるもの、娘の誕生日ごときで生活を変えられるか」

そうして、ついにあの質問をする。
「娘さんのこと、どう思ってますか?」

答えが胸の中に広がる。
父は、確かに娘のことを愛している。(ついでに言うと、妻のことも愛しているはずだ)
ただ、愛といった柔らかな感情を持つことに、大きな照れがある…。

「男たるもの、そんな感情を表に出すなんてけしからん」

そう、父は、愛を軟弱さと感じ、男はそういった部分を表に見せてはいけないと思っている人だったのだ。
父にとって、男の強さとは、屈強さなのだ。
そして、悲しいほど、強い男だったのだ。

再び、私の椅子

私は私に戻り、「私」の椅子に腰を下ろした。

最初に椅子に座ったときは、誰も私を見ていないような疎外感を感じたが、父と母と祖母の気持ちに思いを馳せた今では、皆がそれぞれ自分の守りたいものを守っているだけということが分かった。
その間で右往左往しているのが、私だった。

そこに、愛はあった。
娘にわかりやすい形ではなかったが、確かに愛はあった。

どっと力が抜けた。
意味もなく、笑いたくなった。

あらためて振り返る

どちらでもよかった

最初のテーマに戻る。
「誰かに私を選んでもらうのが怖い」、つまり、「誰かの期待に応えられない自分には価値が無い」と思っていた。

母に産まなきゃよかったと言われるのが怖くて、期待に応えようと頑張っていた。
父に私のところに帰ってきてほしくて、期待に応えようと頑張っていた。

しかし、実際はこうだった。
私が何をしようと、母は彼女のドラマのヒロインとして生きている。
私が何をしようと、父は彼自身の美学を貫いている。

私が期待に応えても応えなくても、彼らは彼らの人生を歩んでいる。
彼らは私が期待に応えることを望んですらない。

そして、彼らなりの気持ちで、娘を愛している。

どっちでもよかったのだ。
私が期待に応えようと応えなかろうと、彼らは彼らの人生を歩み、彼らなりの方法で娘を愛す。

それが、真実だったのだ。

問題の根本

あやさんに相談したい問題は3つあった。
・自分の感情にアクセスできない
・人前で感情を表に出すことができない
・誰かに私を選んでもらうのが怖い

今回は3つめの「誰かに私を選んでもらうのが怖い」を選んだが、この3つのどれを選んでも、同じところにたどり着いていただろう。
自分の感情を封じ込めたのも、人に見せないようにするのも、親の期待に応えるために自分の感情を後回しにする必要があったからだ。

おまけに他の問題、例えば「誕生日を祝われるのが怖い」という自分ではそこまで重要視していなかった問題も解決された。
(ここでは端折ったが、同じ理由でクリスマスも好きではなかった。これも解消されただろう)

人に選ばれるのが怖くて、望んで就いた営業職を辞して、今は経理をやっている。
結構売れてた営業だったんだけどなあ!もったいなかったなあ!

でも、人に選ばれるのが怖いという思いがなければ、夫とは結婚していないかもしれない。
そう考えると、悪いことばかりではない。

自分自身の人生を歩む両親の間で右往左往した経験は、私の人生に大きな影響を与えてきたようだ。
これらの問題の原因が、まとめて一気に解決した。
なんということだ!

最後に、宇宙から

あやさんのこのセッションでは、宇宙からのメッセージを受け取ることができる。
と言っても、あやさんが宇宙と交信してうんぬん、といった怪しいものではなく、自然と私の心に広がる温かい思いだ。

具体的にそれをどう受け取るかは割愛するが、確かにメッセージを受け取った。

「そんな狭いところにいないで、好きにやればいいよ」

日本の、宮城県の、仙台市の、小さなマンションの一室で右往左往していた私。
その小さな世界で繰り広げられていたドラマから抜け出せずにいた私。

でも、もう、それは終わった。
小さな世界から一歩踏み出して、私は私の人生を歩みだそう。
私が誰かの期待に応えられたとしても応えられなかったとしても、揺るがない私の道が目の前にあるのだ。

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