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友達の言動で傷ついた心を癒す方法


友人知人の言動に傷つけられる時がある。
「まあいいか」と流せることもあるし、話し合って解消することもあるが、決定的なものが損なわれてしまうこともある。
 
今回は決定的なものが損なわれてしまったときの話だ。
 
決定的なものが損なわれてしまったとき、その相手のことを好きであればあるほど、信頼していればいるほど、ダメージも大きくなる。
このダメージとの向き合い方だ。
 
自分自身が受けたダメージは、きちんと認めて抱きしめてあげないと、自分自身が苦しくなる。

自分自身を責めてしまうとき

ひどいダメージを受けたとき、自分自身を責めてしまうことがある。
 
どうしてあの人は私にこういうことをしたのだろう?
私がいけないことをしたのだろうか?私は馬鹿にされるような存在なのだろうか?私に落ち度があったのだろうか?
それとも、これしきのことで傷つく私が弱いのだろうか。
 
 
あなたに落ち度があったのかどうか、それは分からない。
ただ、もし落ち度があったとしても、傷つく権利を失うわけではない。
 
今、ここに、傷ついているあなたがいることは事実だ。
まずは、傷ついている自分を認めて、なぜ傷ついているのかを知ることが大切だ。
 
もし自分に落ち度があったと思うなら、心が落ち着いた後に謝ればいい。
馬鹿にされていたなら、怒ればいい。
 
でも、まずは、自分の傷を見つめることだ。
 
傷つく私が弱いのかって?
確かに同じことがあっても傷つく人と傷つかない人がいる。
だからといって、傷つくことが悪いわけではない。
理由があるから傷ついているのだ。
 
心の傷は、その理由を教えてくれている。
普段自分があまり気づいていない、でも大切なものが損なわれたことを教えてくれている。
 
損なわれたものが何かを見つめることが大切だ。

相手を責めてしまうとき

ひどいダメージを受けたとき、自分自身に「被害者」というレッテルを貼ることもある。
私は悪くない、悪いのはあの人だ。
そう相手を責めることで気持ちが楽になる効能がある。
 
しかし、この「被害者」というレッテルは、扱いを間違えるととても危険なものである。
自分を被害者と認識し、加害者である相手に意識を向けることで、自分の心の傷から目を逸らしてしまうのだ。

被害者意識の危険性

自分を被害者と感じるとき、同時に相手を加害者と感じる。
もともと自分を傷つけたのは、相手の「とある言動」だったはずなのに、加害者という言葉を用いると、害を加えた者、つまり「相手の存在そのもの」が悪になる。
また、相手に損なわれたのは自分の一部分のはずなのに、「被害を受けた者」として、自分のこれまでの人生が丸ごと損なわれた意識になる。
 
あなたが傷ついたのは、あなたの大切なもの(あなたの心や身体、友人、時間、お金、物など)が傷つけられたからのはずである。
それが、被害者というフィルターを通すと、あの人が悪人だったから全てが悪い、というように視線の先にあるものが変わってしまうのだ。

被害者で居続けたくなる甘美性

「被害者」という言葉は甘美だ。
弱く、傷つけられたものとして、周囲は優しく慰めてくれる。ねぎらってくれる。
ずっと被害者で居続けたくなるような魅力があるのだ。
 
自分を被害者で居続けさせるためには、相手に加害者で居続けてもらわなければいけない。
そうなると、相手の言動の粗探しを始めるようになる。
 
これまでは気にならなかったことも気になるようになる。
かつては何も思わなかったことでさえ、腹立たしくてたまらない気持ちになる。
 
必要以上に相手を悪人と感じるようになってしまうのだ。

被害者意識では事態は改善しない

困ったことに、被害者意識は事態の改善の邪魔となる。
 
例えばこういう経験はないだろうか?
 
いつも資料の作成期限に遅れる部下がいる。
この部下のせいで足を引っ張られている。
周囲もそれを分かっていて、「大変だね」と慰められている。
 
その部下に資料の作成を依頼した。
遅れて提出したら厳しく怒ろう、ついでに自分の上司にも報告して厳しく怒ってもらおうと思っていた。
 
ところが、その部下が珍しく期限通りに提出してきた。
あなたは拍子抜けした。
期限通りに提出してくるなんて内容がいい加減に違いないと思い、いつも以上に厳しくチェックした。
細かいところまで隅々確認して、部下に大量の指摘をした。
そしてあなたは言うのだ、「やっぱりあいつ、使えないですよ」と。

これを部下側から見るとこうなる。
いつも期限遅れを注意されるから、今回は頑張って間に合うように提出したのに、仏頂面の上司に重箱の隅をつつかれ普段は指摘されないことまで指摘された。
もしあなたが部下だったら、次も期限に間に合うように提出しようと思うだろうか?
面倒くせーと、わざと期限に遅れて提出するようになるだろう。
  
自分が被害者意識でいると、相手の言動は改善しない。
相手の言動が改善しないのに、事態が改善するはずがない。

もし事態を改善させたいのなら、被害者意識は横に置いておいて、自分自身の心の傷を癒すことに意識を向けよう。

被害者意識は他人が植え付ける

世の中には悲劇のヒロインでありたい人がいて、そういう人は自分から進んで自分に被害者のレッテルを貼るが、そういう趣味を持たない人も世の中にはたくさんいる。
そういう人に被害者意識を持たせるのは他人である。

周囲の慰め

傷つけられたとき、友人の慰めは救いになる。
ただ、こういう慰めには注意だ。
「あの人、こういう嫌なところあるよね。やっぱり悪い人だったんだね」
 
それを鵜呑みにすると、相手が悪いから自分が傷つけられたという気持ちになり、自分の視線が、自分の心から相手に移ってしまう。
 
私が傷ついたのは、私の大切なものが傷つけられたからであるのに、私が傷ついたのはあの人が悪人だったから、と思うようになる。
これが被害者意識の始まりだ。

周囲の否定

自分の大切なものが傷つけられたときに、守るために立ち上がることもあるだろう。
これはとても大切なことだ。
自分の大切なものを自分で守らずに、誰が守ってくれるのか。
 
しかし、世の中にはそれを批判する人がいる。
「何でそんなことしたの?」「やりすぎじゃない?」
 
「何でそんなことしたの?」の答えは「大切なものを守るため」であるし、「やりすぎ」の指摘には「大切なものを守るためには必要があると思った」でいいのだが、ダメージを負って気持ちが弱っているときに批判をされると、揺らいでしまう。
 
そうすると、自分の弱った気持ちを守るために「だってあの人が悪い人なんだもん」と考えたくなる。
こう思ったときは既に被害者意識への入り口に立っている。

傷ついた心のためにできること

自分の傷をきちんと認める

もし、今、あなたが傷ついているなら、それを否定する必要はない。
傷つくことは辛いことであるが、悪いことではない。
 
今、あなたが傷ついているのは、理由があるからなのだ。
 
まず、それを認めよう。
相手が何を言ったかや何をしたかはいったん横に置いておいて、ただここに傷ついた自分がいるという事実を認めよう。
 
傷つかない強さを持つことがいいことではない。
傷ついた自分をそのまま受け止めることが大切なのだ。

傷つけられた大切なものを見つめる

心が痛むとき、そこに大切なものがあると教えてくれている。
普段あまり意識していない、でもとても大切なものがそこにある。

損なわれたものは何だろう?
そして、どうしてそれが損なわれたことを苦しく思うのだろう?
それが損なわれたことをどう感じている?怖い?さみしい?悲しい?

心の痛みは、心の叫びだ。
痛みの奥底にあるものを探して、見つめて、寄り添うことが、心を癒すために必要なステップだ。

相手への対応

自分を傷つけた相手の顔が目に入ることで心がざわざわするなら、距離を置いて構わない。
同じ職場等で顔を見ない訳にはいかない場合でも、避けれるだけ避けてしまえばいい。
 
もし相手に話を聞いてみたければ、聞いてみた方がいい。
相手にもきっと何か理由があるだろう。
理由が分かることで落ち着くことはけっこうある。
 
今後の関係をどうするかは、時間が経って相手への気持ちが落ち着いてから決めればいい。
もし相手があなたを傷つけたことに心を痛めていたなら、あなたの気持ちが落ち着くまでに時間が掛かることを理解してくれるだろう。
 
だからまず自分の気持ちを落ち着けることを考えた方がいい。

周囲への対応

あなたに対していろいろな人がいろいろな声を掛けてくれるだろう。
心の痛みに寄り添ってくれる人の声に耳を傾けよう。
 
傷つけた相手の悪口を言う人からは、そっと離れた方がいい。
あなたの心に被害者意識が入り込み、事態をややこしくしてしまう。
 
 
また、あなたの言動を批判する人の声は聞かなくていい。
 
かつて私が当時の上司(課長)が会社のお金を横領しているを発見した時、私が発見したことをその上の上司(部長)は批判した。
「お前がそれを暴いたら、課長は会社を辞めさせられるぞ。かわいそうじゃないのか?」
それでも私が横領を調べることを止めなかったら、部長から怒鳴られ、脅された。命の危険を感じるほど激しい脅しだった。
 
部長の怒鳴りや脅しから分かったことは、部長は、自分が気づかなかったことを暴露されるのが嫌なだけだった。
管理監督責任を問われて、自分が職を失うことを恐れていた。
この部長は、課長のことを守りたかったのではなく、自分自身を守りたかっただけなのだ。
 
私は、部長は薄々気づいていて、でも面倒だから見て見ぬふりをしていたのだと考えている。
あれだけ私を怒鳴ったのは、罪悪感を打ち消すためだったのかもしれない。
もしくは、入社3か月で横領を見つけて社内で脚光を浴びた私への嫉妬だったかもしれない。
  
あなたの言動を批判する人も、もしかしたら自己保身でそんなことを言っているのかもしれない。
本当にあなたの言動が行き過ぎなら、あなたの心の傷に寄り添った上で、でもね、とそっと注意してくれるだろう。
それもなく、ただ批判するだけなら、そしてその批判を聞いて心が疲れてしまうなら、適当に聞き流して忘れてしまおう。
(自己保身にかられた人間の反論はすさまじいので、真っ向から対決することはあまりお勧めしない)
  
なお、余談だが、例の課長は横領が発覚したことで、仕事と家と家族を失ってしまった。
事件発覚後、一度だけ課長に会った。
横領がばれたと分かったとき、どう感じましたか?と聞いた私に、課長はにっこりと笑って答えた。
「助かった、と思ったよ。このままでは破滅すると分かっていたのに自分では止められなかった。誰にも相談できずに辛かったし怖かった。どうもありがとう」

課長に仕事と家と家族を失わせたことに罪悪感があったが、この時の課長の笑顔で、間違ってなかったと思うことができた。

最後に

もう一度、繰り返す。

心の痛みは、心の叫びだ。
痛みの奥底にあるものを探して、見つめて、寄り添うことが、心を癒すために必要なステップだ。

心の傷を見つめることは、傷つけられることより辛い場合もある。
でも、心の痛みをなかったことにすると、その痛みは心の奥で何年も何十年もくすぶり続ける。

心の傷と痛みを認めて、そこに寄り添うことが、心を癒すために必要なことなのだ。

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