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しずかみちこ
Gallup認定ストレングスコーチ
ストレングスファインダー(クリフトンストレングス)の専門家として、個人やチームが「強み」を活かして最大の成果を生み出すためのコーチングと研修をしています。

リクルートスタッフィングで経理したり、レアジョブの管理部門立ち上げたり、ブラック企業に入ったり、上司の横領見つけて辞めさせられたり、人の会社2つ作ったりと波乱万丈な職歴の後、独立して今に至ります。

投資と経理スキルでお金をデザインし、ストレングスファインダーで強みを活かしたら、人生が楽しくなりました。

趣味は野球観戦と美味しいものを食べること

収集心・最上志向・戦略性・未来志向・分析思考
ストレングスファインダーのnote
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しずかみちこについて

しずかみちこのブログに訪問してくださり、ありがとうございます!

目次

自己紹介

しずかみちこ
1974年生まれ。仙台市出身。

得意技:分析すること。「何となく」を言語化すること。次の打ち手を立てること。

趣味:
美味しいものを食べること(グルメというより食いしん坊)
野球観戦(オリックスを応援しつつ、実は根っこは近鉄ファン)
旅行(温泉、美味しいもの、明治〜昭和初期のお金持ちの邸宅見学あたりが旅の目的になることが多い)

※食べ物にしろ旅行にしろ、安さを追求するときと(B級グルメも18きっぷも大好き)、高級路線を追求するときと、差が極端な傾向があります。

私がやっていること

「これまで頑張ってきて、そこそこ上手くいっているけれど、なぜか満たされない」という状況から突き抜けることを、お金との関係を整えるという面からサポートをしています。

「稼ぐ」「貯める」「使う」のこの3つのお金との関わり方を「お金の環」と呼んでいます。
この環のバランスが崩れていると、収入の多い少ないに関わらず、満たされない状態になります。
また、「お金の環」の大きさが、自分が持つ「人生の器」に合っていないと、お金に振り回される状態になります。

「お金の環」の流れを整え、「人生の器」の大きさを自分が求める大きさに育てることが、私のサービスの目的です。

現在は、動画教材・個別セッション・講座・個別コンサルという形で提供しています。
自分のペースで現状を把握したい方から、変化に向けて伴走してほしい方まで、段階に応じて選んでいただけます。

なぜお金なのか

人が変わるためには、日々の選択を変えるしかありません。

例えば、今の私は、これまで私がしてきた日々の選択が積み重なってできています。
だから、今までと同じことをしていたら、今の状態がそのまま続いていくだけ。
今の私を変えたいなら、日々の選択を変えて、これまでとは違うものを積み重ねていくしかありません。

大前研一さんの有名な言葉、「人間が変わる方法は、時間配分、住む場所、付き合う人を変えることだ」を実現できれば、日々の選択は変わります。
でも、家族がいたり、仕事の内容だったりなど、自分の都合だけでは時間配分、住む場所、付き合う人を変えられない場合もあります。

では、もっと日常に近いところで変えられるものは何か。
そう考えたときに浮かんだのが、お金との付き合い方(稼ぎ方・貯め方・使い方)でした。

お金との関係には、その人の人間性が現れます。
お金を受け取れない人、貯められない人、使えない人。
金額の大小で判断する人、お金から目を背けながらもっと欲しいと言う人。
私も含めて、お金との関係が健やかではない人が多いです。

日々の生活は、何をしてもお金と関わっています。
だからこそ、お金との関係を見直して整えていくと、自然に日々の選択が変わっていきます。
健やかな選択が増えると、人は健やかに満たされていきます。

だからこそ、お金と自分との関係を見直すことを重視しています。

お金との長い戦い

お金と自分との関係の見直しは、私自身の幼少の頃からの課題でした。
長い間、お金に振り回されてきたのです。
そして、お金との関係が変わるたびに、自分の生き方が変わってきました。

父は高収入でしたが、家にお金を入れない人でした。
それなのに、父の沽券に関わるということで、母は働くことを禁じられていました。
父の会社は月給は現金で手渡しだったので、父はそれを全部自分のものにしていたんですね。
でも賞与は銀行振込だったので、母は年二回の賞与が振り込まれる日に銀行へ駆けつけ、父より先に全額を引き出して、半年分の生活費にしていました。(父と母は社内結婚なので賞与の振込日は把握していた)
それは日々の生活を送るにはギリギリ間に合っていましたが、プラスアルファには足りない、という額でした。
だから欲しいものがあっても、母に悲しそうな顔をさせたくなくて言い出せませんでした。
消しゴム一つすら。

その経験が私に刻んだのは、「お金は最低限あれば上出来。それ以上を持とうとしてはいけない」という感覚でした。
例えば、友達とご飯に行くときは、必ず一番安いメニューを頼んでいました。
食べたいものや欲しいものではなく、お腹を満たす最低限の安いものを選ぶことを当然だと思っていたのです。

大人になって自分でお金を稼げるようになってからは、不安の解消に全力を注ぎました。
給料が少ないうちから貯金し、投資を始め、経理の仕事でお金の流れを学び、独立しました。
客観的にはお金の不安が消えているはずの状態になってからも、何かが足りない感覚が続きました。

何が物足りなさの原因だったのかに気づいたのはずっと後になってからです。
稼ぐことと貯めることには必死になってきたのに、使うことへのブレーキがずっとかかったままでした。
お金の不安をゼロにすることには成功したのに、お金を自分のために機能させることができていなかったのです。

そこからは、使い方を変えることを意識し、私自身の心境も少しずつ変わっていきました。
そして、妥協して買ったものは満たされないけれど、本当に自分が欲しいものを選ぶと、心が満ちることに気づきました。

その積み重ねが、お金との関係を変えました。
そしてお金との関係が変わると、生活の選択が変わりました。
自分がどうしたいかを基準に選べるようになり、自分の人生の主導権を自分で握っている感覚が生まれました。

強みの仕事を経て、気づいたこと

7回の転職と独立を経て、ストレングスファインダーの認定コーチとして活動してきました。
1000人以上の人と向き合ううちに、見えてきたことがあります。

強みがわかっていても動けない人の多くが、「お金の問題があるから」と言います。
踏み出せない、転換できない、次に進めない。
その理由がお金だと言います。

これはお金がないという問題ではなく、お金が判断の主導権を握っているという問題だと、今は思っています。
「稼ぐ・貯める・使う」の流れが整っていないと、何を選ぶときも「自分がどうしたいか」ではなく「お金があるかどうか」が先に来ます。
強みがあっても、自分の軸で選べていない。

自分自身がそうだったから、動けない気持ちもわかります。
でもだからこそ、お金で困らない動き方もわかります。

自分を取り戻すということ

私は子どもの頃から、周囲の大人の顔色を読むのが得意でした。

「こう動けば先生は喜ぶ」がわかるので、行事のたびに書かされる作文はいつも褒められました。
でも小学5年生のある日、思ってもいないことを書いている自分が突然嫌になりました。
手が、動かなくなりました。

代わりに書くべき言葉が、何も浮かんできませんでした。
本当の気持ちを封印しすぎて、自分が何を感じているのかわからなくなっていたのです。

お金に振り回されるのをやめて、自分がどうしたいかを基準に選べるようになること。
それは突き詰めると、自分を取り戻すことと地続きだと思っています。
あの日からずっと、同じ場所を目指してきた気がします。

遠回りしてたどり着いた場所だからこそ、確信を持って伝えられることがあります。
それが、今、私がお伝えしていることです。

これまでの歩み

私の人生、順風満帆とは言い難い、回り道と寄り道たっぷりの楽しい人生を送っています。

いろいろな経験をしたことと、いろいろな人に出会えたおかげで、今の多くの方々と一緒に人生を考える仕事ができていると感じています。

私のこれまでをざっくりと書いていきます。

生まれてから学生時代

1974年 横浜生まれ

2歳の頃には既に鉄道が好きで、見たことがない色の電車が通ると、あれに乗せろと泣きわめいていたらしい。
なので、私の鉄道好きはかなり年季が入っている。
なお、最寄り駅は、当時は農村の名残が残っていた東急東横線の大倉山駅。
電車好きの原点は東急5000系〜7000系にあるものと思われる。

(なお、横浜生まれなのに仙台出身と公言しているのは、横浜時代の記憶がないため)

昭和の赤子(1974年撮影)

1978年 親の転勤に伴い仙台へ。

神道の幼稚園に通いながら、近所のお寺の坐禅会に通い、カトリック系の小学校に進学するという、めちゃくちゃな宗教教育を受ける。
おかげで、どの宗教も一理はあるが絶対ではないという真理に幼少時に気づく。

その後、「女には教育はいらん!中学を出たら働け!」と言う父をかわすために、小学校からそのまま中高一貫のカトリック系の中学高校に進学。

母自身も「女には教育はいらん!中学を出たら働け!」という家庭で育ち、それを悔しく感じていた人。
高校進学を反対され、なんとか中学時代の担任の尽力により商業高校への進学が認められ、その後は高卒で就職をした。
だが本当は大学に行きたかったらしい。

なので、母は自分が食べるものを削ってでも、娘に教育を受けさせてくれた。

1993年 青森の大学へ

仙台より寒くないところに行きたかったのに、成績の及ばなさと様々な偶然が重なり、青森県弘前市にある大学へ。
人気のない地方の国立大学という独特な環境で、半年は雪が降っている状況に震えつつも、伸び伸びと学生生活を過ごす。

社会主義国の制度というものを見てみたくて、1995年に外貨兌換券廃止直後の中国に1ヶ月半滞在したのが一番の思い出。

1995年。大同の町並み

就職してから今まで

1997年 刺身トレーメーカーに就職

福岡県民に聞いても「それどこ?」と聞かれる福岡県の内陸部にある田舎町にて就職。
役職者がほぼ全員社長と同じ名字(社名も同じ)というファミリーな会社で、福岡らしい男社会に揉まれる。
(それでも氷河期に就職できたことがありがたい)

1年後、遠距離恋愛中の当時の彼氏の就職が関西に決まったことを知り、大阪支社に転勤。
(大阪支社に転勤が決まっていた同期は、福岡に彼女が出来たばかりで嫌がっていたので、奪い取った)
(それなのに大阪に引っ越した直後に彼氏と別れた)

更にその1年後、社長が「パソコン使用禁止!手書きのほうが速い!」と言い出して、(あなただけだよ…)と思いつつ、気が弱く言い出せないまま将来が不安になり退職。

※その頃の話はこのあたりの記事にしている

1999年 税理士の勉強しつつフリーター

突如簿記に目覚めて、税理士試験の勉強を始める。
この間は、試食販売の売り子をやったり、カフェのウェイトレスをやったり、NTTドコモのコールセンターにいたりで、食いつないでいた。

消費税法に受かった時点で、これをあと4科目もやる気力がないことに気づき、税理士を諦める。

※その頃の話はこのあたりの記事にしている

2001年 リクルートスタッフィング

リクルートスタッフィングという派遣会社に入社。
最初の5ヶ月は大阪でジョブコーディネーターをしていたが、環境が合わず、試用期間中にも関わらず転勤願いを出し、試用期間中にも関わらず認められる。(すごい会社だ)

2001年秋から、東京に来て、経理になる。

経理に来てからは楽しく過ごしていたが、新しい世界が見たくなったときに、希望退職者の募集があったため、便乗して退職。

経理と経営企画を兼務していたこともあり、社長や役員の仕事を真近で見続けることができたし、会社の将来に関わる業務にも関わらせてもらえるなど、貴重な経験がたくさんできた。
私の仕事の基礎は、このリクルート時代に大部分が培われている。

※その頃の話はこのあたりの記事にしている

2009年 レアジョブ

レアジョブというオンライン英会話の会社に入社。
前職が会社の規模が拡大しすぎてつまらなく感じたため、小規模の会社を中心に転職活動をした。

そのときに紹介されたのがレアジョブ。
今では上場会社だが、当時は社長2人、中国人エンジニア1人、大学を出たてのスタッフ1人、あとは日本語が苦手な中国人の派遣1人とアルバイト数名という小さな会社だった。

社長がやっていた経理や人事の仕事を巻き取るところからスタート。

会社は波風に揉まれつつ大きくなっていったが、夫が余命半年と診断されたり、故郷が津波の被害にあったり、上場する意味が見いだせなくなったり…ということが次々に起きて、疲れ果てて退職。
(なお、夫は結局は誤診で、今では元気いっぱい)

ほぼ生まれたての会社から、従業員が60人くらいになるまでを見届けた。
短期間で急成長したことに伴う組織に発生する痛みと向き合い続けた期間だった。
限られた人材をいかに育成するかを考え続けた経験が、今の糧になっている。

初期のオフィスはこの広さ。一人が風邪引くと全員に移った。
退職時のオフィス。急成長の時代だった。

2012年 ブラック企業

飲み会で隣の席になった人に誘われて、ちょっとしたお手伝いのつもりで入ったIT企業がブラック企業だった。

WEBサイト制作を格安で受注し、外注に出し、外注先から上がってきたものに難癖をつけて外注料金を値切りまくり、その値切った分が利益という黒い商売。
だけど、お金を払ってもらえないのが分かっているはずなのに繰り返し仕事を受ける外注先がいることに、IT業界の闇を見る。

もちろん社内的にもブラックで、常に怒鳴り声は響き渡る、オフィス内の会話が盗聴されている、社員を本人には無断で書類上だけ辞めさせて社会保険を外すなど、これだけで数万字は書けるネタの豊富さ。

心身ともにボロボロになってなんとか逃げ出す。
私が逃げた後の半年間で、社長の愛人以外は皆逃げ出せた。良かった良かった。

2014年 アウトソーシング会社

ブラック企業で履歴書がボロボロになるも、自分の売出し方法を変えることで、無事に次の就職先が見つかった。
某専門分野の事業を大企業から請け負って行う会社の経理として入社。

怒鳴り声の聞こえない会社って平和!と思ったのも、3ヶ月だけ。
入社後4ヶ月目にして、上司の経理課長が会社のお金を横領している痕跡を発見する。

それだけでもショックなのに、経理部長に「余計なことを見つけやがって!俺の立場を考えろ!」と激怒され、外から鍵を掛けるタイプの倉庫に閉じ込められるなどの身の危険を感じる事態に。
それでも経理部長の妨害をかわしつつ横領事件の全容を解明したところ、経理部長が暗躍し始め、株主を味方にして、全容解明を私に命じた社長をクビに追い込む事態に。

私自身にもいろいろ起きて次は私の番だと感じたので、大株主でもある新社長に「経理部長と私と、どちらが必要ですか?」と聞いたところ、実は経理部長が大株主の弱みを握っており、その報復を恐れたせいか「経理部長」と答えられる。
その裏に張り巡らされた大人の事情があまりに黒すぎて、怒りを通り越して感動した。

というわけで、横領の裁判用の資料を作り、裁判の進展を見届け、二度と横領が出来ないような経理の仕組みを作りきったところで、退職。

なかなかできない貴重な経験ができた1年半だった。

この会社を退職した翌日からベトナムに逃亡。全てを忘れたかった

2015年 不動産業界の会社

レアジョブに続き、アウトソーシング会社で経理の仕組みをイチから作り上げたこと自体は楽しく成果も出たので、それを売りに転職活動をする。

会社の一部を独立させて新会社を作り、管理部門を立ち上げる、という業務へのオファーを受けて入社。

ここで出会った上司が、とてもとても仕事のできる方で、会社員生活の最後にいい学びができたことに感謝している。

(2018年 ストレングスファインダーの認定コーチの資格を取る)

ちなみに、ストレングスファインダー(クリフトンストレングス)の認定コーチの資格を取ったのも、この会社に在籍中のときだった。

2019年 独立

会社員生活も楽しかったが、平日に美術館などに行きたいという思いが募ったのと、ストレングスファインダーを用いた個別セッションが面白くなったので、会社を辞めて独立。
Gallup認定ストレングスコーチとして、ストレングスファインダーとビリーフリセット心理学をベースにした手法でセッションを行った。
ストレングスコーチとしての活動は8年弱。1000人以上の方にセッションを受けていただく。

2025年 初の著書を出版

『「やりたいこと」はなくてもいい。――目標がなくても、人生に迷わなくなる4つのステップ』(ダイヤモンド社)を出版。
これは、「5年後、どうなりたい?」という質問に答えられない人のための本である。

人には、目標から逆算して生きる逆算型の人と、目標を持たずに日々の経験を積み上げて生きる積上型の人の2タイプいる。
積上型は、やりたいことがなくても豊かな人生を歩めるのに、日本社会では逆算型が正しいとされ、積上型のための本がほとんど存在しなかった。
やりたいことが見つからない自分に焦ったりプレッシャーを感じている人が、自分に合わない生き方を求めて苦しむことのないように。
これまでお客様に伝えてきたこと、自分の中にある人生哲学を、丸1年かけて絞り出した一冊だ。

自分の中の暗黙知を隅から隅まで探して掘り起こし言葉に紡ぐ作業は時に厳しく、ひたすら自分に向き合った1年だった。
その分、これまでの人生で学んできたことの多くが、この一冊に詰まっている。

2026年 サービスを転換

1000人と向き合う中で、強みだけでは届かない場所があることに気づいたことをきっかけに、サービス内容を刷新。
お金との関係を整えることをサービスの軸に据え、新たな活動を開始している。

SNSと提供中のサービス

プロフィールを最後まで読んでくださって、ありがとうございます!

もし良かったら、SNSでも繋がっていただけると嬉しいです。

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